JUGEMテーマ:学問・学校
来春のワークス(靴の専修学校)からアスレチックシューズコースを新設することにしました。
2006年にワークス第1期が始まってから17期(17年目)までは一般的に革靴といわれるものを中心にした修得コースでしたが、思うところがあって来年の18期から今までの一般革靴に加えて、アスレチックシューズ(運動靴)専攻というコースを設けることになりました。
思うところというのはここ数年考えていたことなのですが、何故今アスレチックシューズなのかという理路をザックリですが丁寧にご説明しようと思います。
手作り靴といったとき、みなさんはまずどんな靴を想像しますか?
やはり靴職人が背中を丸めて膝の上でトントン靴を作っている映像が頭に浮かんでいるだろうと想像するように、何といっても革靴ではないでしょうか。20数年手作り靴を広めてきた中で、自分の手で靴が作れると思っている人はまだまだ少数であると実感しているところではありますが、昨今はyoutubeやTikTokなどの動画サイトで、靴を自作する動画が人気を博したりしているところをみると、また第何次かの靴作りブームが到来し始めているのかと思っているところです。
さて、そんな革靴ですが国内の革靴の販売額の推移を見てみると、2021年は4年前の2017年比で40%も減少しています。2019年からのコロナ禍の影響を多大に受けているということも原因にはあるでしょうが、近年の靴市場は全体的に縮小傾向であることは否めません。革靴と共にスニーカーに代表されるゴム製布靴も同年比でマイナス20%と減少傾向ではありますが、健康志向の高まりから、ウォーキングシューズやランニングシューズなどのアスレチックシューズ(運動靴)の需要が増していることや、今後ファッションのカジュアル化が進んでいくことを考えると、益々アスレチックシューズの存在感は増していくと考えられるでしょう。
先程、コロナ禍で革靴の需要が減少したことに触れましたが、国内の革靴市場を牽引しているのは何といってもビジネスシューズです。いわゆる仕事に行く時に履く靴のことです。あとは冠婚葬祭用の靴として革靴を買われる人が多いのではないでしょうか。コロナ禍でリモートワークが増えて会社に行かなくても良くなり、冠婚葬祭などが敬遠されたことも革靴需要の減少に影響したようです。
そんなビジネスや冠婚葬祭用の靴に関しても、インフォーマル化(カジュアル志向)が進んでいくと考えられます。
以前、昭和時代のファッション事情について話を聞く機会があり、昔はTシャツは下着という認識で、当時の若い人達は下着で外を歩いていると揶揄されていたと話されていました。現代ではTシャツは立派なファッションアイテムになっているのだから、時代とともにファッションはドレス・ダウンに進んでいく傾向にあるんだとか。
そう考えてみると、ちょい昔、男性用のフォーマルシューズはオペラパンプス(エナメル革の男性用パンプス)でしたが、現在ではオックスフォードといって、内羽根式の紐履がフォーマルシューズの代表格になっています。オックスフォードという靴はその名の通り、イギリスのオックスフォード大学の学生が履き始めたことに由来するといわれていますが、名門学校の正装であった編み上げ長靴を堅苦しいと思った学生が短靴にして履いてしまった、ドレスダウンの象徴のような靴だと伝えられています。そんな靴が現在では冠婚葬祭や公式行事に履いて行っても恥を掻かないフォーマルな靴というのですから。
さて、ちょっと遠回りが過ぎたように思いますが、それらの靴の現状を踏まえると、よりシンプルでカジュアルな靴が求められていく趨勢なのだろうと予想します。当然、健康や身体を意識した靴、高齢者や足に不具合を抱えた人をサポートするような靴に注目が集まっていくでしょう。伝統的な作りの重厚な革靴よりも、機能的で軽快な靴にシフトしてゆくだろうと思われます。靴のアッパー(表革)は動物の革からシンセティック(合成)革へ、ソールは革底からゴムやウレタンのソールに変わっていくでしょう。
もう一つ考えなくてはならない変化として、今後靴職人に限らず何かを作り出すという仕事をする人は、環境問題を意識しないでは立ち行かなくなるでしょう。靴の作り手は革を扱う者として家畜や食肉の問題とも向き合わないといけません。接着剤や合成ゴム・樹脂なども環境対応のものを使って然るべき時代がもうすぐそこに来ているはずです。植物由来の合成革や合成ゴム・樹脂類が研究開発されて商品化になるのももう遠い未来ではありません。
冒頭で革靴を自作する動画が人気を博していると話しましたが、その種の動画で作られる靴は決まって手縫い革底の靴です。動画として見てもらうためには出来映えや作業のエンタメ性が求められるのは承知していますが、ハンドソーンや手縫いマッケイというような靴は、古典的で手間がかかるが故に高価な靴の底付け技法であって、もう既に生活者の日常靴ではないのです。作りが巧妙でクラフトマンマインドを刺激されるので、趣味の靴づくりとして残っていくことは何の異議もありません。僕が創業以来セメンテッド(接着)靴に拘って作っているのは、それが誰でも作って誰でも履ける日々の靴として相応しいと思っているからです。
それに関してちょっと面白い話を一つ。
工房では自転車用シューズを作って競輪選手に提供しているのですが、手作りでといってもソールには飛行機やレーシングカーで採用されているカーボンを使用したもので、ワールドカップやオリンピックでも使用されているように、自転車用シューズとしては最先端の作りをしていると言っておきましょう。ある競輪選手が有名な外国選手に、日本の競輪選手ではまだ革底の自転車シューズ(昔は自転車用シューズや野球用スパイクも革底の時代があった)を好んで使っている人がいることを伝えたところ、その外国選手からは一言「クレイジー!」と言われたそうです。
靴の進歩を語る上では、昔は軍靴が靴の開発においては大きなアドバンテージをもたらしましたが、機能的で足の構造に働きかける靴としては、現在も今後もスポーツ分野が先頭を走っていくことは間違い無いでしょう。
登山靴を例に取っても、昔は登山靴は重厚で堅牢な手縫いのものが良い(登りやすい)と言われていましたが、今はエベレストに登るような登山家は皆、マイナス30度の過酷な環境にも耐え得るセメンテッドのゴム底靴でより軽いものを求めて最高峰を制覇しているのです。
時代が求めている靴、人々が求めている靴を考えた時、アスレチックシューズ(運動靴)という選択肢が出てくるのは自明の理だと思うのです。来期からは一般革靴のコースと共に新設アスレチックシューズ専攻コースを携えて、靴の未来を見据えた手作り靴を広めていこうと決意を新たにしています。
最後に、100年後の靴の有り様を予想して終わりにしたいと思います。100年後はこれを書いた僕も、読んだ皆さんも生存していないと思いますので検証不可能ですが、100年後は冠婚葬祭や各国首脳会談、ノーベル賞の授賞式でのフォーマルシューズは、黒のコンバース・オールスターで良いということになるでしょう!なんてね悪しからず。
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僕が靴づくりの道に入って今年で22年目を迎えることができた。この道に入るきっかけをくれた師は、当時靴を作るのは玄人職人の仕事だと誰も疑わなかった時代に、市井の一般素人が自分の靴を自身の手で作るという、今日の靴づくりワークショップの礎を築いた人で、五十の手習ではないがそれを志したのは年齢50歳を数えてからと聞いていていた。自分も今ようやくその年齢を超えて、新ためてこれからの靴づくりや仕事のこと、生き方のこと、僕らが老いて退場した後のその先を生きる若者達への思うところを今後言葉にしていけたらと思っている。
まず最初は、そういった先駆的に物事を実現できたり、ある分野でイノベーションを成し遂げられるような人はどういう理路(思考回路といってもよい)でそうなるのだろうと考えてみた。これから何かを始めたいと思っている人や、もしくは現在その道半ばで悩んでいる人がいたら、それを解決するためのヒントのようなものになってくれたら面白いだろうと憶測している。
さて、あなたが何か新しいこと、他に誰もやったことがないような革新的な何かを成就したいと考えていたとする。何ができるか?こんなことをしたら面白いことになるぞとか世間はびっくり仰天するかなとか、自分で考えを巡らせたり推測できたりすることは、もう既に誰かが実現してしまっていることが殆どだと言えるだろう。
それは無意識に見聞きした自分の経験から弾き出されたアイデアなり未来予測であることに他ならないからである。今までの自分、いわゆる経験的なところから出てくるものは自分の枠の中にあるのであって、その枠の外に出ない限りは本来の意味でのブレイクスルー(革新的突破)は無いと言えるだろう。
では、どうやったら自分の殻を破って新しい自分に成れるのか?一つ考えられるのは、自分というのはこんな存在だから、その逆を張ってみようという考え方。それではまだ不十分だと言わざるをえない。自分という枠を基準として、それを意識すること自体が自分の思考に囚われているのにまだ気づいていない。
無意識を意識すること。ではどうしたらいいの?という声が聞こえて来たように思うが、そういう時僕なら「天の声を聞きなさい」と応えるだろう。間違っても変な宗教に入信している訳ではないので悪しからず。
自分が考え得るところの「私」の箍を外すのに一番単純で有効な手立ては、私以外の誰だか分からない者の声を聞くことではないだろうか。何者かが耳元で囁く声や夢で遭遇した突拍子もない出来事、墓前でご先祖様が言われたように感じたことなど、それは意表を突いて衝動的にやりたくなった事柄へ一歩踏み出す勇気を後押しているようにも思える。もしくは自分に眠っている本能を呼び起こしていると言い換えることができるかもしれない。
世間一般的に考えれば、そんな絵空事を大の大人が進言することではないと批判的に思われるだろうことは承知している。何だか抽象的だし実現性がない話だと思ったあなたがいたとしてもいいだろう。でも逆に言わせてもらえるなら、抽象的で夢物語的なことを現実世界に鮮やかに描き出す人のことを、イノベーターとか先駆者と呼ぶのではないのだろうか。
さて、大事な決断や自分でも予期しない選択の岐路に立った時、あなたなら天の声に自分の身を任せる勇気はありますか?
支離滅裂な夢のようなお話でしたが、一歩踏み出す勇気が出ない時はどこからともなく聞こえて来る声に耳を傾けてみても悪くないのかもしれない。
本日、第16期WORKS秋期の1年間が無事修了しました。
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誠に急なことではありますが、今春の4月から手づくり靴の専修科「WORKS」は毎週日曜日の10時から18時までの時間に引越しをすることに決めました。
今期で17期(17年目)を迎えるWORKSですが、2006年の開講当初から16期までは水曜日から金曜日の10時から14時という平日ど真ん中の日時を設定していました。その日時を設定したのもそれなりの理由があってのことなのですが、歴代のワークス経験者や入学説明会を聞いたことがある人は「あれっ」話が違うと不信に思うかもしれませんので、その決断に至った経緯を書いておこうと思います。「あれっ」と思った人は是非お読みください。
以前までのWORKS入学説明会では、開講日は平日の水曜日から金曜日で時間は10時から14時という日時だと伝えていました。ホームページの生徒募集告知でも開講日時については特に記述していませんでしたので、当事者は説明会に来て初めてその開講日を聞くことになります。説明会に来た人が初めにその日時を聞いて質問することは決まっています。土曜・日曜日に開講されるコースはないですか?平日だと仕事があるので通うのは難しいのです。概ねそのような感じと意味合いでしょうか。
そんな質問をされたときには決まって、この時間は「覚悟の時間」です。と返答していました。では覚悟の時間とは何?と思われるでしょう。
それは何か素敵な新しいものを手に入れるには、それなりの代償を差し出す必要があるなんてことを言うつもりは毛頭ありませが、新しい世界の扉を開くとか今までの自分の殻を破るという時には少々過激な変化がないと物事がそっちの方向へ転がって行かないというのは、多少の経験則で分かっているからです。荷車やスタックした自動車を人力で押すことをイメージしてください。最初の動き始めが一番力が必要で、少しでも動いてしまえば後は少ない入力でも行きたい方向に車輪は転がっていくが如くと言いましょうか。
という理路で、これまでにWORKSに入学した生徒達は、仕事の時間を会社に相談して自ら調整に奔走したり、或いは退職して一念発起靴づくりに臨んで来た経緯があるのでした。ここまでの話を受けて、「あれっ」と思うことの意味が当事者ではない人にも分かってもらえただろうと思います。
さて、ここからがそのWORKSこだわりの「覚悟の時間」を止めてまでした、「覚悟」とはいかなるものかとう言う話をしようと思います。ちなみに一旦話は逸れますがまた帰って来ますので暫しの猶予をお願いします。
今から24年前に靴職人(入学前はそういう認識でしたが)を志して入学したのが、原宿の明治通り沿いに工房を構えていた「moge workshop」でした。当時は都内で靴の学校というと、東京都の製靴職業訓練校だった台東分校、神戸の靴資材商社が母体のエスペランサ靴学院、そして手づくり靴で独立独歩、自由自在に生きてゆく術を手渡すモゲ・ワークショップの3つでした。他にもあったかもしれませんが、この3校が代表的でかつ対照的な靴学校であったのは紛れもなく事実であったと記憶しています。
台東分校は言うまでもなく職業訓練校だったので、東京都の靴産業を下支えする人材を輩出するのが目的でした。エスペランサ靴学院は勝手なイメージを言わせてもらえばいわゆるデザイン系で、靴の企画問屋や靴メーカーのデザイナーや企画部門に就職する卒業生が多かったように思います。
そして我がモゲ・ワークショップはと言うと、前述の2校は毛色は違えど同じ既成靴業界のフィールドでの事業や活動であったのに対して、既成靴業界(メジャー)に背を向けて、靴は個々の身体性を重視した生活具と言わんばかりに素人(マイナー)でも自分で自身の靴を作ることを奨励し、日本で初めて靴づくりのワークショップを広め、その担い手を輩出する学校でした。
元々広告代理店にいたモゲワークショップの主宰者であるモゲさんが、靴のテストマーケティングとして自前の靴問屋業に携わったのが靴の世界に入るきっかけだと聞いたことがありました。その頃は(現在も少なからずその兆候はあるのですが)靴づくりは靴職人=「玄人」の領域で一般の生活者=「素人」に作れるものではないので、邪道なことはしてくれるなと言う態度が業界側には根強くあったそうです。そういう旧態依然とした既成靴業界が作る靴が正道と言うならば(靴の本意とは何かと考えるならば既成靴の方が邪道になるのだが、その話はまた違う機会に)、靴業界からしたら邪道の路を独立独歩、個の力で歩んで来たのがモゲ・ワークショップだということになるでしょう。そして、これからはマイナー(個の力)がメジャーを凌駕する、「マイジャー」の時代が来るとモゲさんはよく言っていました。
現在、日本全国に広がっている手づくり靴工房の源流はモゲさんにあるという明白な事実が、何を語っているかはここまで読んできた皆さんならお分かりになるのだろうと思います。
残念ながらモゲさんは一昨年に御逝去なされて、自分の学舎であるモゲ・ワークショップはもう存在しないのですが、その志を継ぐ者たちによって「自分の靴は自分で作る」という潮流は今後もその勢いを増してゆくだろうと想像するところです。
そんな所とは露も知らずに初心は靴職人になるつもりで入学したモゲ・ワークショップでしたが、自身も公務員という安定した職を辞しての決断だったこと、家族を含めて周囲に賛成してくれる人は殆ど皆無だったことをして、いわゆる反体制的なモゲ・イズムに共感していくことは自明の理だったと思います。そうやって自分自身の感覚で世間の常識という名の価値観を疑いながら、手づくり靴の世界で生きてきて22年目を迎えました。
卒業した当時はまだ今のようにインターネットで検索すれば情報が溢れ出るようなことはなく、ヤフーやグーグルといった検索サイトもまだ存在していませんでした。そんな中で本当に手づくり靴で独立して生活し、自立して家族を養い、極端な話は「生きていく」ことができるのか不安しかありませんでした。それでもモゲさんと同じことをしていけば規模は小さいながらも何とかなるだろうと、未来に手づくり靴での自立を目指している人達がいたら、小さいながらも自分が道標になろうという想いでここまでやって来られたように思います。
そして今、コロナ禍でのワークスや手づくり靴の未来を想像するとき、自分がそうであったから、モゲさんがそうであっただろうから、自分が主宰するワークスの入学希望者にも邪道の正道を求めてしまっているのではないか、と問いました。
モゲワークショップも私が卒業した何年か後に平日クラスを止めて、日曜日と祝日だけで完結する靴学校にシフトしていきました。反逆児が世間(メジャー)に迎合しているのではないのか、その当時はモゲワークショップで培ったことが否定されたような、少し寂しい感覚になったのを覚えていますし、現在でもその感覚は消化しきれていないと思います。
晩年のモゲさんはパラレルキャリアを推奨していて、これから先が見えない時世において、どんな状況でも生きてゆける術はいくつあっても困らないでしょうという考えからだったのだろうと推測します。仕事を持ちながらも手づくり靴の知識も身に付けていれば、有事の際に生き残る確率は単純に2倍になります。
自分にはもう後がない(実家には勘当されて靴の道に入った)状況からの再出発だったので、そういう環境の人は応援したいという気持ちから、無意識に同じような境遇の生徒を求めて作り出してしまっていたのではないか。
つまりは、型にはまった型破りを推し進めていたようなもので本末転倒ではないのかと。
先が見えない世の中だからこそ、既存の価値観や世間の常識に捕らわれて動かないでいるのではなく、そこからどんな敵が出てこようとも全ての使える武器を駆使して生き延びてやろうというのが、真の反逆児、正道たる邪道なのではないでしょうか。
という理由で、今年の4月からワークスは日曜日限定講座「サンデーWORKS」として心機一転開講することになりました。
この選択が正しかったのか、まだ目前の霧は明瞭に晴れてはいないですが、壁が現れた時はあれこれ測ったり計算して思案しているより、とりあえずヒョイっと飛び越えてみる!という方を選ぼうと思います。たとえ失敗しても次に上手く越える方法が思いつくきっかけにはなるはずです。
「頭で考えるな、手で考えろ。」手が教えてくれるとは、私がモゲワークショップのモゲさんから教わった言葉です。
こんな生き方に共感して自分も同じように手づくり靴の世界を自身の足で歩んでみたいという人は、人種、性別、学歴、経験など問わず、どんな人でも靴のつくり手になることができます。
最後に、今は亡き手づくり靴のパイオニアであるモゲさんのご冥福をお祈りして、この文章を謹んで贈ります。
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約1年ぶりの投稿になるでしょうか。去年の今頃はというと、未知のコロナウイルスによる感染拡大によって第一回目の緊急事態宣言が出されていました。靴工房においても、昔から大事は小事より発すると言うように、先んじて大事を取って2ヶ月間工房を閉鎖していた頃です。そこから先一年間は、感染防止対策をしながら生徒さんの安全と工房の存続を両立することがメーンテーマだったので、今思うに自分の考えや気持ちを言葉にして書くというところまで身体も心もついて来ておらず、その当時に置きっ放しになっているような感覚とでもいうのが正直なところでしょうか。
さて、そんなコロナ禍が現在も継続している最中に一年ぶりの投稿を書こうと思ったのは、今春からワークスに入学した2人の生徒への祝辞のようなものとしてです。新入生やこの工房の卒業生にも読んでもらえると嬉しいなと思って書きました。勿論その他の方もお時間がありましたらどうぞお読みください。
「チャンスを掴む(掴め)」という言葉があります。その言葉を発したり誰かに言われたりする時は、チャンスを掴むことそのことよりも、行為の積極性やチャレンジ精神のようなプロセス自体を尊重する価値変換がなされているように思います。彼はその積極性ゆえにチャンスを掴めた、彼女はチャレンジ精神が旺盛なので将来チャンスを掴めるだろう、などというふうに表現される。でも逆に、もし誰かがチャンスを掴めないとしたら、それは暗に旺盛な積極性や困難にも立ち向かう努力が足りないからだと責められているのと同義なのだと思います。そういった世間的な認識や風潮を踏まえて、ノグチ靴工房的な「チャンスを掴む」方法というのをお伝えできればと思っています。
worksは今期で16期目を迎えました。春期の入学生は2人です。4月当初は1人の予定でスタートしましたが、一週間遅れてもう一人が入学することになりました。通常の学校や教習施設では、当日入学試験を受けられなかったとか期日までに入所手続きが間に合わなかったという場合は、その学校なり施設には入れないことは一般的に周知のことだと思います。
そして、今期ワークスが始まったその日に彼女からメールが届きました。3月いっぱいで仕事を退職したので、是非春からのワークスで学ばせて欲しいと。
通常ワークスは、事前に入学のための説明会を受けることを必須にしていて、あとは希望すれば誰でも靴の作り手になれるとうスタンスでやってきました。もし彼女が初見でしたら断っていた可能性もありますが、実は5年前の説明会に来ていたことを朧げながら覚えていました。もちろんメールへの答えはイエスです。ではどうゆう理路で彼女は入学への切符を手に入れた(チャンスを掴んだ)のでしょうか。
大事なことは、彼女が一般的には入学不可能な状況をその積極性を発揮して無理筋だが突破したとか、可能性が低いような事案に果敢にチャレンジしたことを評価されて特別に入学を許可されたという話ではないということです。
チャンスを掴むというのは、例えれば未知の扉をノックして開けるようなものだと思っています。その扉は向こう側からは開かれません。こちら側から開けなければならない扉です。でも闇雲にノックして数撃てば当たるが如く開けていってもだめで、開けた扉の向こう側に誰かが待っていてくれないと真の扉が開いたとは言わない。そういうイメージで想像してみてください。
積極性やチャレンジ精神で扉の前までは来れるかもしれませんが、そこから先に誰かが待っていてくれるかどうかは別の話です。
では、扉を開けた時にそこに待っていてくれる人がいるためにはどうしたら良いか。それを導く鍵は信頼と希望です。
その扉を開けたら必ず誰かが自分を待っていてくれるという信頼と、扉の向こうのまたその先への純粋な希望です。扉を開けることが成功への手段であったり、超絶難度の扉を開けることそのこと自体が目的だったりしたその先には、残念ながら誰も待っていてはくれないでしょう。
彼女の場合は、説明会に出席した5年前は仕事への責任もありワークス参加は断念せざるを得なかったのだろうと思います。でも靴をつくりたい、作って誰かの役に立ちたいという思いを5年持ち続けて、やっと扉の前に辿り着いた。そしてあの時説明会で話したことを今もその胸の中に大事にしまっておいてくれたことで、開けた扉の向こう側に僕や、そのまた先に靴を作ってあげたい人や、将来彼女の靴に救われる人たちが待っていてくれるのです。
世間一般の皆さんは、そんなの絵空事だと思うかもしれません。でもこうやって実際に扉は開かれたのです。
ですからワークスの入学案内にはこう書いています。
今、未来への扉が開かれました。「ようこそ手づくり靴の世界へ」
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そもそも、不要不急の外出は自粛して欲しいと言うけれど、諸外国のように2週間家に留まっているというようなものではないらしい。それではその不要不急の要件って何?と思ったときに、昨日のTVニュースで大学教授でもあるコメンテーターが言ってたのは、それは命を繋ぐ行為以外のことであると。生きることに直結している事柄はそれに当たらないという。例えて分かりやすく言うと、食料品の買い出しや日々の通院、健康を維持するための運動などは自粛すべき外出には当たらないということらしい。では、靴工房で靴を作ることはどうなるのでしょう?さすがに靴が作れないからといって命の危機を感じることは稀なので、そういう定義に照らすと靴作りはズバリ不要不急のことに当たるのでしょう。
ではなぜ、今回の外出自粛に至るような理路や条件等を認識していながら、その制限の真っ只中で工房を開いてるいるのか?と疑問に思うのは、目端の利いた大人なら当然の思考だろうと思います。なぜなのかを端的にいうなら、それは僕にとって靴づくり(靴工房)が生きることに他ならないからです。
僕は、靴工房で生徒さんに靴作りを手ほどきすること、靴や足で困っている人の靴を作ってあげること、そういうことを自分もやりたいという人に靴作りを手渡すことを生業にしています。そのお陰で家賃を払えたり、日々の食事ができたり、子供を学校に通わせたりできています。他のお店を経営している人やフリーランスの人はわかると思いますが、そのこと自体が経済的な支えであることは当然ながら、さらには精神的な面に於いてもそのこと自体が「自分が生きる」ことに他ならないのだと。
今春も4月から第15期WORKSが入学してきますが、新入生には必ず伝える言葉があります。「手づくり靴は仕事ではなく、私事=作り手の生き方です。どんな靴を作りたいのか、どういう人に履いて欲しいのか、どんな環境で作りたいか、そしてその靴でどんな社会を築きたいのか。手で靴を作るということは、自分自身を作る(見つめる)ことに他ならないのです。」
そして何より、靴は生活道具です。自宅でお母さんが日々の食事を料理してくれるように、自分で履く靴も自身の手で作れるならば、自分の足(好み)にピタリと合うものができます。そうなることがどんなに素晴らしいことか、靴や足で悩んだ経験がある人は言わずもがなでしょう。
そして僕が(ノグチ靴工房)が目指すところが正に、靴づくりは生活技、普段技だということです。つまりそれは誰でもが靴を作れるようになるコトです。靴が必要だなと思ったときに、お店で買おうか、それとも自分で作ろうか、自然にそういう選択肢がみなさんの頭に浮かぶ。そうなることが僕の考える手づくり靴の理想なのです。学生当時、靴の師が「おにぎりが握れるならば誰でも靴は作れる」と言っていたのは、それを言い得た言葉だったなと今になって思います。
皆さんとその暮らしに寄り添うような靴作りを目指している者にとって、今回の外出自粛で生きることに直結しないからという理由では、靴工房を自ら閉鎖する気持ちにはなれませんでした。コロナは脅威ですし、大事な生徒さんにも感染はさせたくないです。最大限に自分にできる工房の除菌や時間ごとの換気、自分の体調管理などをして、極力科学的なエビデンスに基づいた情報収集、行動に努めています。何より履く人の身体や健康を優先に靴を作っているものとして、いざという時は誰よりも迅速に、工房を一時閉鎖することを厭わない、靴屋としての矜持も持ち合わせていることをお伝えしておきます。
最後に蛇足ですが、政権中枢にいるどんな政治家よりも自営業者のみなさんの方が、真摯に「生きること」に向き合っていることだけは伝わって欲しいなと思っています。
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JUGEMテーマ:学問・学校
今年でこの仕事を始めて20年目になりました。WORKSという靴づくり専門課程を設けてからは、今期で15期を数えることになります。この節目に、僕がWORKSで靴づくりを教える意義のようなものをもう一度考えています。
教育って「教わらないことを教えること」だと、以前この場で書いたことがあります。学校で教わったコトそれ自体には、それほど重要な示唆は含まれていないと言いました。学校を出た後に社会へ出て、そこで学んだことがそのままの状況で再現されて解決に至るというようなケースはまずないと思われるからです。未知の世界(未来)をどう生き抜いていくのか、正しい解答を知らない時に、正解を導き出せるような経験や方法を学ぶことが必須でしょうという考えから来た言葉です。
そういう思いを抱いてWORKSという手作り靴専門課程を設けて、日々生徒たちに接している訳なのですが、「教わらないことを教える」という方針はどのような教え方かとよく聞かれます。端的に説明すると、聞かれてもすぐには回答せずに考えてみなさいと教える。生徒が実際やってはみたが上手くできずに悩んだ末に質問してくるか、失敗して困って途方に暮れていると何かヒントを教えるという具合でしょうか。つまり、「失敗するための教育」といっては言い過ぎになるでしょうか。
昨今は、高い授業料を払っているのに失敗させるとは何事だと怒りだす親御さんもいるのかなと想像しますが、ちなみに今までそのような経験は幸いにしてありませんでしたし、もしそのように自分の子を管理している親がいるとしたら、残念ながら子どもの生きる力を殺いでしまっているのに等しいと言わざるを得ないでしょう。
アメリカの『Psychological Science』に掲載された論文によると、人の脳は失敗の経験とそれを能動的に解決しようとする意欲によって成長すると発表されています。元になったスタンフォード大学の研究調査では、ニューヨーク市の5年生400人を対象にあるパズル問題を解かせて、半分のグループには頭が良いと「知性」を褒める対応をし、もう半分のグループには一生懸命よく頑張ったと「努力」を褒める対応をして、その後の各グループの成績を追跡調査したそうです。
研究者の二つのグループ間にそれほど大きな違いは生じないだろうという予測を大きく覆して、5年生たちには劇的な影響力があったと報告されています。
結果的には、「知性」を褒められたグループは成績が伸びないか落ち込み、「努力」を褒められた方のグループは劇的に成績が伸びたということです。知性をほめられた子どもは、自分を賢く「見せる」ことに留意して失敗を恐れ、難しい問題に挑戦したり、間違いをおかすリスクをとれなくなるのだと説明しています。その逆に「努力」を褒められたこどもは、失敗を理解し、失敗から学び、よりよい方法を編み出したいと思ったのでしょう。彼らは、たとえ最初は失敗しても挑戦することを望んだので、その経験により後により高い成績を得たのだと結論づけています。
最近の嬉しいニュースで、韓国映画の『パラサイト 半地下の家族』がアジア映画で初めてアカデミー賞の作品賞、監督賞を含む4冠という偉業を達成しました。その受賞者インタヴューで監督のポン・ジュノ氏が紹介したのは、名監督マーティン・スコセッシ氏の「The most personal is The most creative」(より個人的なものが一番創造的である)という言葉でした。映画を勉強していた学生時代に深く心に刻んだ言葉だそうです。
よく「自分探し」という言葉を使う人がいますが、僕はあまり好きな表現ではありません。
今の自分は本来あるべき姿(身分や年収や才能?)ではなく、自分以外の何かに不当に虐げられて現在の状態で我慢させられていると言わんばかりと考えてしまうのは穿った見方でしょうか。
前述した「The most personal is The most creative」は受け手によって様々な解釈が可能だとは思いますが、僕はこう考えます。「探さなくても、唯一無二の自分という存在に気づけば良い」
個々の資質を存分に発揮することは、自分自身を表現する最も有効かつ最大に創造的なのだということです。
だから、そういう「自分には他の居場所があるはず」だと思っている人には、自分の好きなこと、熱中できることを突き詰めてやりなさいと言いたい。
手で何かを作る、とりわけ人が生きる上で必要とするものを作るということは、自分自身を見つめる(探す)のに大変有効な装置となり得ます。日々食べるために料理を作ること、それもなるべく美味しく作る。生活のための道具を作る。例えば普段使いする器を土から練って作る、素材から吟味して着心地の良い服を仕立てる、足に合わせて木型から靴を作ることもその一つでしょう。
靴に関して言わせてもらえば、どんな靴を作りたいか(どんな靴なら喜んでもらえるか)、どんな場所(環境)で作りたいか、どんな人たちと作りたいか、そしてどんな社会を実現したいのか?そういった靴づくりに付随する全てのコトガラが自分自身を形にしていくのです。そして気がついたら、自分が一本の幹のようになって、どんな状況に遭遇してもどんな人と対峙しても、決して微動だにしない太い芯が中に存在していることに気づくでしょう。敢えて言うなら、それが探していた自分だと思います。
失敗することに学びの意義があるとするならば。人は失敗なくして成長しないならば、自分がやりたいことに挑戦することや未知の経験をすることにもう躊躇する理由は見つからないでしょう。
それが自分の生きる力を最大限に引き出す方法で、その環境が自分を確立する最高の学びの場になるだろうからです。
最後に蛇足ですが、春期のWORKSでみなさんの失敗への挑戦を待っています!
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ノグチ靴工房&Farmという活動の一環としてのパンなのですが、靴や生活用具、食や農業など、日々の暮らしを自らの手に託して、その中のコトガラや環境を作り育み、生まれ育った宮代町をベースに皆さんと共有するという考えが礎になっています。2015年に宮代町へ移住(戻って来た)時に温めていたものでしたし、正確に言うとそういうことをやるために宮代に戻る計画を、その5年も前から立てていたということになります。
とは言っても僕がパンを焼くわけではなく、パン屋の仕事は専ら妻が担うことになります。ちなみに、僕は靴を作ること(作ることを教ええることも)を生業としていますが、実は靴を作ること、パンを作ることに特別な資格は必要ありません。誰でも靴職人、パン職人を始めることができます。先ほど、誰でも靴やパンを始めることはできると書きましたが、靴職人やパン職人に成れるとは言いませんでした。昨今は第何次かのパンブームだと言われているそうですが、そういう時流に乗ってパンや靴を始めるという人もいるでしょう。それには特に否定的でもありません。靴屋になりたければ靴を作って(もしくは作らせて)売ればいいのです。パン屋も同じ論理でパン屋にはなれると思います。けれども、それを長く続けて靴職人やパン職人に成れるかどうか、皆さんに求められ愛される靴やパンが作れるかどうかは別だということです。ノグチ靴工房やkuroパンは単に靴やパンを売る人にはなりたくありません。靴やパンに乗せたい思いがあるから靴やパンを手で作っているのです。
暮らしの中で必要なものを自身の「手」で作ることで、自分が生きること、周りの環境、社会の有り様について考えたりすることが大事だと思います。それをきっかけに地域で新しい交流が生まれたりするのも願っていることです。また人が生きるためには「食」が切り離せないことは言わずもがなですが、食物の育まれる過程や昔ながらの調理方法を継承して、農のある暮らしを持続してゆくことも重要なテーマだと考えています。
つまり、そんなことを思いながら靴やパンを手づくりしているのです。モノを作ることを生業にしていますが、手で作ると「仕事」というのは「私事」というふうに書き換えられるのだろうと思っています。自分たちは作った「モノ」よりそれに一緒に乗せた伝えたい「コト」を届けるのが本当のシゴトだと思っているのです。
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教育って何だ。
字のごとく教え育てると書くように、教育することの目的は教育することによって人を育てる、教育を受けた人たちが成熟するということが最終的に到達点になるのではないかと考えて話を進めてみることにしましょう。
私は小さな手作り靴工房を主宰していて、その中で自分と同じように靴を作って生きていこうと決意した面々に「WORKS(ワークス)」という専門課程で手作り靴を教えている。それももう丸13年も続けていて、今年の春からまた14期目が始まろうとしている。ある程度長いこと人に教えるということをしてきたので、私のようなものでも教育に関してこのような個人的主観を述べても許してもらえるのではないだろうかと思っている。
大見得を切って言うことではないが、ワークスでは何事においても「教えない」ということをモットーにしている。生徒がミシンがけをしている時に、おっとあれは失敗しそうだなと見ていて気づいたとしても、実際に失敗するか、途中で何かおかしいのではと生徒自ら手を挙げるまでは何も言わずに放っておくことにしている。そして案の定、失敗してミシン目がガタガタしたり針が折れてしまったりするのであるが、先にこういうリスクがあるからその時はこんな風にしなさいというようには教えたりしない。そんなことをしていたら、生徒たちに今後降りかかるであろう幾多のリスクを全て洗い出して逐一その対処法をレクチャーすることになるし、そうなったら一人前になるまでに何十年かかるか、もしくは一生その生徒の傍について教授しなければならなくなるだろうことは皆さんにも想像に難しくないと思う。ではどうしたら失敗するだろうことを事前にリスクヘッジできるのか。という問いが勘のいいみなさんの頭には既に浮かんでいることでしょうが、端的にいうとそれは教えてもらうことでは獲得できないということなのです。
それを言ったらあなたは靴の学校で何を教えているのかと疑問に思う方がおられるのは当然です。当ワークスで何を教えているのかと問われれば、「教えてもらわないことを教えている」と答えます。つまり今までの経験や身体で養った感覚をもとにして、教えてもらわなくてもそこにあるだろう危険を察知したり、見たことや経験したことがない事象にも対処できるようになることと言ったら分かりやすいでしょうか。
本屋さんのビジネス書棚で、成功者が教える「それをやればあなたも社長になれる」的な経営本を見たことがあるでしょう。カリスマ経営者がその人の成功体験を語っている類の本だと認識しているが(実は読んだことがないので誤認していたらごめんなさい)、私はその本を読んんだ人が本当にカリスマ社長の様になれるかどうかには懐疑的です。中にはそういう本に書いてあることを実践して社長になったという人はいることはいると思いますが、その本の著者と同じかそれ以上の地位や名声を獲得した人は聞いたことがないでしょう。なぜって、そのカリスマ社長は本人の先見の明や今まで誰もなし得たことがないイノベーティブさにおいて特筆していたが故に本に残るような成功者になったのであって、もう既に本になっているような既知の情報や使い込まれたスキルには、新しいものを想像する革新的な知見はもう含まれていないと考えられるからです。前述した失敗するリスクも成功するロジックも同じことです。この先に何が起きて、どのようなことをすれば適切なのかはそのものズバリを教えてもらうことは不可能なのです。だから、教えてもらわないでも分かるようになる人を養成しているのです。
教育の本質は教えて分からせるのではなく、教えなくても分かる人を育てることだと思っています。教えてもらうコトそのもの自体には、本質的に未来に生きていく上での有用な示唆は含まれていないことに等しいということでしょうか。つまり、本当に大事なことは教えてもらうことでは獲得できないということを学ぶことが重要だと考えるのです。そして、教えてもらってないことでも自分で考えて、適切な解を導き出せる人のことを、教育のある人成熟した人というのではないでしょうか。
ですから、ワークスでは手作り靴の基礎を1年間学んだら、もう後何年修業して研鑽を積もうが、すぐに独立開業しようがみなさんの自由です。そして、工房での経験と身体感覚、独自の想像力を駆使して、これからやってくるだろう荒波を乗り越えていってください。そこからは僕もみなさんも、修行年数や教え子という立場を超えて同じ土俵に立っていることを忘れないでくださいと伝えています。だって、何十年と靴作りを経験した達人も1年しか靴作りを教わっていない人も、この一寸先の未来ですら何が起こるかは誰にも分からないのですから。
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彼とは茅ヶ崎時代に知り合いました。ご夫婦が自宅でよく開いていたホームパーティーに呼んでもらったのがきっかけでした。交遊関係の広い人で、そのパーティーにはカメラマン、デザイナーやアーティスト、手づくり家具職人や菓子職人、時にはデンマークから来ていた彼の友人がいたりと、多種多様でインターナショナル。彼の魅力的な人柄とセンスが醸し出す空間と時間に僕を含めてその場の皆が刺激を受けていたように思います。その当時北欧家具の会社に勤めていてた彼が、どんな紆余曲折があって突然パン職人としてみんなの前に姿を現すことになったのか、正直なところそれを知る由も必要もないのですが、久しぶりに会った彼は(曰く8年ぶりだそう)、以前と全く変わらない屈託ない懐かしい笑顔で迎えてくれました。
以前からパンと靴は良く似ていると思っていました。僕の靴の師は、自分の人生を手に託して生きると決めた時に、これから靴を作ろうかパンを作ろうかのどちらかを考えたという話を聞いたことがありました。パン職人は粉を練ってパンを焼き、片や靴職人は革から切り出して靴を作りますが、そのどちらも材料の状態からは全く違う形(立体物)に成形される。そうやって作られたものが人の暮らしに寄り添って生活を支えるものになるというところが似ているなと思っていたのです。そして、そのどちらも食べる人や履く人のことを思って作られたものはある種の美しさを備えています。美味しく食べてもらえるように、快適に歩いてもらえるようにと思いを込めて作られたものに宿る佇まいのようなものです。それと同じようなことを民芸運動の柳宗悦は「用の美」と言いました。華美に装飾され、これは国宝級なので使ってくれるなといった器より、何気ない普段使いの器にこそ「器」としての本来の美しさがあるということと似た感性ではないでしょうか。
彼が作るパンにもその美しさがあります。棚に並べられたパンは自ら起こした天然酵母種から焼き上げられてふっくらと丸く、少し強めに焼かれた表面は噛めばパリッと音がするだろうと容易に想像できます。芳ばしい香りが今にもしてきそうな何とも美味しそうで美しい佇まいです。それは裏返せば、厳選した材料を使い美味しく食べてもらいたいと思いを込めて作ったものだからこそ出せる美しさなのだと思います。靴も同じで、奇をてらうデザインの靴があってその時は目新しいということで人気があったとしても、10年後、50年後にその靴のデザインが残っているかといえば、その可能性は時間が経つにつれて難しくなるでしょう。現在のスタンダードと言われている靴で皆さんが格好いいとか可愛いといっている意匠(デザイン)は例外なく「機能的デザイン」、つまり履く人に寄り添う形ゆえに時間を越えられたのだと言えるのです。
履く人を特定ししないで作る靴は点の靴です。その時代に合っていてその時々に売れればいいという靴のことです。逆に履く人を想って手で作る靴は線の靴です。その人の暮らしに寄り添い、長く人生を共に歩いてゆく靴のことです。だから、これから靴やパンをやってみたいと思っている人で、沢山作ってたくさん売りたい人は手で作ってはだめなんです。逆に手に届く範囲の人の幸せを願いながら、地域に根をおろして何かを作ることを生業にしたいのなら、手で作ることほど自由で自在なことはありません。それが手に託した生き方ということだと思っています。
最後に、彼と再会を願いながら握手をして別れましたが、握った手は厚みがあって温かく、しっかりとした職人の手をしていたことを書き添えておきます。
]]>ある意味この書き出しも定型化してしまっていて少々心苦しいのですが、このブログを見て頂いている数少ないファンの方(いればの話ですが)へ細々と更新している次第です。
今回は靴づくりと身体感についてお話ししようと思います。そう言うと靴を履くところの身体的反応や身体運用に関しての話と想像されるかと思いますが、ちょっと指向が違いますので興味がある方は読み進んでいただければ嬉しいです。
さて、以前このブログで「妄想力」というお話をしました。その中で、手づくり靴の職人でも何でも、自分で実現したい夢や目標がある場合は本人の思考の中だけで精錬しているだけではダメで、それを言葉にして身体の外へ出すことが、自分を希望の場所へ連れて行ってもらえるパスポートになるのだということ。そしてそれは、一旦口走ったら周囲に対して引っ込みがつかなくなるからね、というような単純な思考ではなくて、本人の思考回路のレベルを一段階引き上げるようなことに近いのだろうと書きました。
それを書いた当時は、どういう理路理屈でそのようなことを言っているのか論理的に証明するのは難しいが、自分自身が靴の世界で独立独歩を志向した20年の歩みの中で、身体感覚として感じ、実践してきた経験から出た言葉でした。
先日ある本を読んでいてその理路理屈の一片が見つかったかもしれないという出会いがありました。それは医師であり合気道家でもある佐藤友亮氏の『身体知性』という著書の中でこう書かれています。
「心は身体によって作られている」
西洋医学的には人の意思というものは単に脳の所業のように考えられていると認識していましたが、意思決定や判断には身体的な入力による経験、いわゆる情動とか感情といわれるものが大きく関わっていて、特にそれらは「正解」が分かっていない問いに対して「正しい判断」をするのに真価を発揮するのだと。
就職や結婚、新しい仕事で独立するなどの「どうしたらいいか分からないとき」に「どうするかが分かること」は死活的状況においても生き抜く力があるのと等しいことを示しています。
夢や目標を言葉にするということは、単に言語化する能力が備わっているからできるのではなく、自分を外部から俯瞰して可視化認知する能力、「メタ認知」があってはじめて今の自分の状態を言葉にして表現することができるようになるのです。外部から誰かに(自分に)見られていることを想定して自分自身の身体入力にいつも意識を巡らせていると、ここぞというときに、ここぞという場所で、この人に、対して有用な正しい選択ができるようになるということです。
自分の身体的な感覚であった「夢や希望を言葉にして身体の外に出す」という概念に「メタ認知」ということばを与えてもらったことで、今この文言をみなさんに伝える判断に至った訳で、さてそれが正解か否かの答えは、これからのワークス生や手づくり靴を志向する次世代に委ねようと思います。
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修了を迎えたといっても、一般的にそのような学校で行われるような卒業展や卒業式のようなものはなく、最終日に1年間ご苦労様という意味で軽食を用意して、一緒にランチをしながら毎年お決まりである(以前のワークス生はみなさんご存知)手づくりの記念品をお渡しすることをしています。そこでその時に思っている事を修了生にお話しするのですが、事前に考えている訳でもなく、その場で生徒達に贈る言葉として湧き出してきたことをお話しするので、ここにその時の話が支離滅裂だっただろうことを踏まえて加筆、校正して記録しておきたいと思います。
さて、みなさんはワークスで1年間を過ごされて来て、入学した当初は当然靴づくりなど経験したこともなく、果たして自分に靴を作ることができるのだろうかと思われていたことでしょう。そして1年経った今、みなさんは立派に靴が作れる様になっている。課題であった基本構造の靴を数種類ではあるにせよ、作れなかったものを作れる様になったということは、単純に凄いと言って良いのではないでしょうか。
話は私事なのですが、先日娘の卒園式に出席することが叶いまして、その時のことを少しお話しさせていただこうと思います。娘の通っていた幼稚園は、何事も諦めずに「できるまでやる」をモットーにされていまして、またそれと同時に何よりも園児それぞれの「できる」は当然違って良いという、園児の性格や特性、いわゆるパーソナリティーを尊重する理念を幹にして教育をされています。そこでの卒園式は一般に見られるような、卒園証書を渡して、みんなで歌を唄って、集合写真を撮るようなそれではなく、園児が年長期に練習してきた側転や懸垂逆上がり、跳び箱などを披露する場としてあるのです。園児はそれぞれ体格や特性の差がありますから、みんな同じく保護者が驚愕するような高さを跳べることが求められているのではありません。自分自身が設定した目標の高さの跳び箱や鉄棒で、その高さがクリアできたらまた一段上へと目標を一つ一つ諦めずに踏破してきた結果を、卒園時に保護者のみなさんへ披露するのです。だから、ハンディキャップのある園児は逆上がりではなく前回りだったりするのですが、それがその子が1年間努力して諦めなかった結果だから、その子だけ違う事をしていてどうかなどと思う保護者は誰一人としていないのです。入園した当初は何もできなかったのに、竹馬や逆上がり、高板登り、側転など、自分の目標に対峙して目の前の小さなことを一つずつ、一歩一歩あゆみを止めなかったからこそ目標にたどり着けたのだと思います。その点で言えば、幼稚園児も大人(実際幼稚園児を見て身を正す人もいるでしょう)も関係ないのだ、ということが強く心に響いた式でもありました。
みなさんは、これから自分の工房を開いて靴で独立を果たしたり、他の仕事をしながらも靴づくりを続けていったり、自分やご家族の靴を作ることだけでも生活を豊かにすることが可能になるでしょう。靴にどのような形で関わっていかれるとしても、目の前の小さな一歩を踏み出さなければ何も始まらないのです。また言い換えるならば、どんな偉業や成功も或る日突然そうなったのではなく、必ず「はじめの一歩」があったということなのです。以前からワークスの卒業生等によく言っていることがあります。靴の仕事で独立したいのなら、職人さんの元で何年も修行して靴づくりの技術を学んだ人も、学校で1年修学して何とか基礎だけ習得した人も、靴づくりで独立して社会に出るということに関してはスタートラインは一緒だよ。ならば経験は1年そこそこでも、先に一歩踏みだした方が早く自分の目標に辿り着けると思わない?
ワークスの入学説明会の冊子には、靴づくりは自分自身の生き方の表現であると書いています。手づくり靴は自分の手の内のことなので、自分が作りたい靴、作ってあげたい人、作っていきたい環境、そして望む社会を靴を使って表現すればいいのだと。だからといって、手づくり靴は一人だけで何でもできると謳っているのではありません。それでは独り善がりでしかありません。実は手づくり靴が成り立つためには、逆に社会でそのことが必要とされ、人々に求められていなければならないのも事実なのです。自分自身の存在は他者に生かされているという思いを持つことが、独立独歩で靴の道を歩んでいこうという心持ちとは背中合わせで、逆も真なりと言えるのでしょう。
同じような意味のことを、京都市立芸術大学学長の鷲田清一氏が平成29年度卒業式式辞で明快に述べられおられます。私なりに解釈したところを、搔い摘んでいて恐縮ですが紹介させていただきます。
「わたし」というのは、銘々がそう思っているほど確固としたものではありません。「わたし」の表現とは、じつは「わたし」の存在が負っているものすべての表現でもあります。その意味でいかにプライベートに見える表現も、同時に「時代」の表現なのです。そう考えると、「わたし」は、じつは時代がみずからを表現するときの<器>のようなものだということになります。そういう<器>として「わたし」に何ができるのか。みなさんにはそういう視点をいつも持ってほしいと思います。
芸術についていえば、みなさんは内にある何を「表現」というかたちで外へ押し出すかをずっと考えてこられたと思います。けれども<器>という考え方は、これとは違います。<器>は何か別のものに充たされるのを待つからこそ<器>なのです。
今日、みなさんの旅立ちへの餞の言葉としては、みなさんにはどうか芸術を人生の軸として生きることは、独創的な表現の<主体>になることではなくて、社会の<器>になることだということを心に留めておいて欲しいと思っています。
器について言えば、民藝運動を率いた柳宗悦は、日常的な暮らしの中で使われてきた手仕事の日用品の中に「用の美」があると説きました。靴もいってみれば足を受け止める器のようなものです。そして歩くことを厭わず、健やかな生活を送ることに寄り添うような靴が「美しい」靴だと言えるのではないでしょうか。
みなさんも、自分が目指す美しい靴、良い靴とは何かを探求しながら、いままで支えてくれた人達や社会の中で何かを充たしてあげられるような、質素でも美しい器になれるよう、目前の一歩を踏みだしてください。
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7月に入ったある日、木型クラスに在籍している生徒さんが浦和に店舗物件の良い出物があるのという話を教室中にされていました。その方、手先足先に関係するモノのネットショップを経営されていて、いつか浦和で「健康にいつまでも自分の足で歩ける自分でいるため」の実店舗を持ちたいと、その勉強のためにと工房の木型クラスに来られていたのでした。ただ、その出物物件は賃料がちょっと高くてとか、一棟貸しなので二階部分の使い道をどうしようかしらとか云々。
その時はそのまま話を聞いているだけでしたが、翌日になってなぜか気になって、気付いたらこんなメールを送ってしまっていました。送ったメールはこんな感じ。
さて、不躾ですが昨日の実店舗のお話を聞きまして、ちょっと考えましたことを聞いて頂けたらとキーを叩いております。
もし、店舗の2階などでスーペース的に余裕があり、その活用法にまだ構想の余地があるようでしたら、シェアオフィスならぬシェア工房として間貸しするという可能性はあるでしょうか。
実は現在の工房はこの12月で3年の契約期間が終了し、新たに更新するか移るかを考えているところでして、もし色々な条件が合う事は前提でしょうが、スペースがシェアできたら面白いだろうなと勝手に妄想した訳なのです。
茅ケ崎ロビィでも家具屋さんと場所をシェアして、双方向で様々な人と出会い交流し、新しい発見や仕事上でのアドバンテージがありました。
最近当ワークスの卒業生でも、神奈川の大船にあるスイーツ・ファクトリーという、独立志願のお菓子屋さんへ向けたシェア物件を靴工房として間借りして、お菓子の面々と一緒に革雑貨を販売したり、ファクトリー製おやつ付きの革小物ワークショップを企画したりと、良い相乗効果が生まれているようです。
この話は単に僕の妄想に過ぎませんので、失礼がありましたらご容赦ください。その妄想の一端だけでもシェア頂けたら嬉しいなと思って、突発的にメールしてしまった次第なのです。
また、もしそのようなことが万一現実に起こるようでしたら、一番に手を挙げますのでお知らせください。
表題にある妄想力とは謂わば夢をみる力のことです。こんなことが現実に起こったらいいな、あんな職業になってみたいなという夢を描く心のポテンシャルとでもいいましょうか。こういうのは月並みなのかもしれませんが、この時代は妄想することをやめてしまったように思います。夢をみることが許されない空気感が社会を支配していると言うべきでしょうか。その夢が成功するエビデンスがあるの?ところで成功してもそれっていくら稼げるの?というような空気です。周りもそうですが本人に至っても、世の中の現実と付き合わせてみて、そこから逸脱しているものは受け入れないし、受け入れて貰えないだろうと端から諦めてしまっているように感じるのです。でも考えてみてください。誰もが現実的にその場に留まってしまっていたら、この先に新しい発見や発明、人間の進歩というものは何処から生まれて来るのでしょう。妄想や夢を現実に変換するからこそ、この世の中に誰も見た事がない新たな発見や経験を獲得することことが可能になるのではないでしょうか。
ただし、妄想する(夢見る)ことは自分の日常にとっては非日常的なことです。いくら頭の中で夢や希望を思い描いたとしても、現実に戻るといつもの通勤の行き帰りに、ルーチンな仕事をこなして週末は疲れた身体を休めて心を充電する。そしてまたいつもの日常が始まってゆくといった具合にです。何を言いたいかというと日常生活は惰性が強いということです。仕事がキツくても、ストレスを感じていても、総じてそれらに慣れてしまっていることはないでしょうか。逆に夢や妄想を日常に転化することは違和感を伴います。それでもそれらを日常に引き出すことでしか現実は変えられないのです。その手段はというと、思い描いた妄想や夢を言葉にして自分の外に出すことだけです。それを一たび言ってしまったからやらずにはいられないものね、というのとは少し違うと思っています。自分の日常に楔を打つことで、もうすでにこれまでの日常とは違う日常を経験すること、それ自体で思考レベルが一段アップするようなことだと考えています。そうすると自分自身でも解らない何かに駆動され、伴って周りの人や環境も変化していくことが実感として解ってくると思います。
何故そうなるのか詳細な経緯や理論を述べてみろと言われたら、はっきりと論述することは難しいと言わざるを得ませんが、手づくり靴を仕事にする中で、そういった経験を幾度となくしてきたことなので現に確かだと言う他ないのです。
その証拠に、今回も良い縁に恵まれたと言って間違いないのですが、実際に自分の妄想が現実になったじゃない。ということでご理解いただけるといいなと思っています。
大いに妄想力を働かせて、輝く未来の自分を想像してみませんか。
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ある日、お友達のどなたかがイイネ!をした投稿が当方のタイムラインにも流れてきました。あるパン屋さんの投稿で、そこはフォロワーが確か数万単位の人気店であったのを記憶しています。自分が普段靴づくりをしながら考えていることと真逆の事(回り回って本当は同じことかもしれませんが)を言われていたのに軽いショックを受け、信じていること(もしくは信じたいと思っていること)が少し揺らいだというお話しです。
そのパン屋さんの投稿はこんなものでした。(以下要約して抜粋:「売れると正義になる」世の中で沢山買われているものが正義になってしまう。売るのがうまくて商品がダメなものだってあるけど、みんなはそう思っていない。売れている=いいものです。だから、ナチュラル志向でオーガニック志向で売りまくる店になれと言ってます。そしたら、オーガニックが正義になる。だから、本気で売らなきゃダメだと。負けるなと。)
パン屋さんがそういう価値観に変化する以前は、自分と家族が生活できる程度に稼げて、自分のできる範囲で身の周りの人の幸せを願いながら店を営業できればいいと考えていたようです。その投稿を読んだ時のことを、ある意味自分の価値観が見透かされ否定されているかのような感覚とともにはっきりと覚えています。
まさに今の自分は、パン屋さんが意識を変える前の価値観で約20年靴づくりと向き合ってきたのです。自分が信じる良い靴を目指して、少ないながらもその価値を認めてくれる靴の注文主やクツ教室の生徒さんの幸せを願って、自分の身の丈で出来ることをする(身の丈で出来ないことはしない)のが「手で靴をつくること」の本意だと思っていました。靴を生業にしたいと専門課程(WORKS)に入学してくる生徒らにも、自分の手が届く範囲で靴を手づくりしていれば、自分の家族や身近な人を幸せにするくらいの仕事は成立するのだよ。だから誰でも「靴の作り手になれる」と伝えてきました。
逆に、沢山作って沢山儲けたい人は決して「自分の手で作らない」ことが肝要で、資本を導入して人を雇い、機械に作らせた方がその目的を達成するには効率が良いのです。ただ断っておくと、そのどちらかが正しくて、どちらかが間違っていると言っているのではありません。
いくら自分が良いと信じるモノを作っても、伝わらない(今の世の中では売れないということ?)のでは意味がないと。それが良いものだとみなさんに分かってもらう為には売れてなんぼ、という意見もあることでしょう。
僕も手づくり靴の心地良さや、身体や環境にやさしい革や接着材を拘って使っていることなど、みなさんに靴を売ることでもっと広く伝えられるのではないかと考えたことはありました。また逆に、売りを優先することや宣伝に時間を費やすことを忌み嫌ったり、時にはそういう作り手を蔑んだりすることもあったと思います。
パンと靴は似ているところが多々あります。パンは食べてもらわないとその価値(素材の良さやおいしさ)は伝わりません。靴も同じで履いて歩いてもらって初めてその真価が分かってもらえます。そして、どちらも手で作っているからには沢山のものは出来ない。そういうことでは、それらの価値をどう伝えていくかが、これからの作り手に課題として求められていることは間違いないのでしょう。
最後に、僕は今でも良いと信じるものを作っていれば、沢山売らなくても伝わることは十分にあると思っています。売れる売れないという現在の資本経済の仕組みに翻弄されまいと、何か考える機会があるたびに抗っていることも事実です。もしそのパン、もしくは靴の良さを伝えたいなら無料で配ってみたら良いのでは、と極論ではありますが考えたりもします。それではお金にならない、生活できないではないかとお叱りを受けるのは承知です。でも差し上げることで喜んでもらえて、そのお礼にと自分の畑で採れた野菜やお米を頂けたとしたら、近所の大工さんが靴を修理してもらった代わりに台所を直してあげようということがあって、それで地域や世界が回るなら面白いじゃないかと考えてしまうのです。
それぞれの作り手にはそれぞれの価値観があって、どれが正しい正しくないということではないと思っていますが、ものづくりの何が「正義」かということは明確に一つしかないと思っています。理想の靴づくりでお金が稼げなくて、もしどうしてもお金が必要ならアルバイトでも何でもすれば良いと、僕は今現在でも腹を括っています。僕の靴づくりの原点は、家族の靴を作って、その家族が心地良いと喜んでくれる靴が作れればそれで良い、ということなのだから。
]]>新しい年になりましたが、もう2月も半ばを過ぎようとしています。
年に数回しか更新されないブログですが、お目に留まった方はどうぞご覧下さい。
長年考えていたことで頭の中でモヤモヤしていたものが少し晴れたというお話しです。
さて、靴を作る上で大事なことは何だと思いますか。特に「手づくり靴」(既製靴を手で作っているのは別です)では靴の履き手との良好な人間関係が築けるか否かが、足に合う靴を作るのに大変重要な要素になると靴を始めた頃から常々思っていましたし、WORKS(手づくり靴専修科)の生徒らにも、靴づくりは「履き手との関係を作ること=人づくり」だと教えてきました。
そういう良好な関係を築けた方とは総合的に靴づくりがうまくいくし、その後も関係は続いていくだろうことは、みなさんにも想像に難しくないと思います。さらに実際に足に対するフィット感や、痛みが出る・出ないにもそれは関わっているように思えていて、ただそれは自分の経験則に従った感覚的(主観的)なもので、もし誰かに証明してみせろと言われたら、15年以上そんな気がしてやってきたのでとしか言えないと思っていました。
先日、足に靴型装具を付けた男性が突然工房にやって来て言いました。いままで40年以上この足の装具と付き合って来て、全国にある殆んどの装具屋を廻ってみたのだが、ただの一度も自分の足に合った靴型装具を作ってもらったことがない。なので作った中では何とか履けるという靴をいつも不満ながらに履いている。とのこと。そして、履いて来た靴の不満な点や、装具屋がいかに怠慢で経済的な合理性しか考えておらず、自分たちのような足の人のことを本当に考えて靴を作ってはいない。という話を2時間近く聞いていただろうか。
そこで思い出したのはある義肢装具士学校の先生の話です。患者と医者の間に信頼関係がないと、装具士がどんなに良い義足を作っても患者は義足に違和感や痛みを覚えることがあるそうなのです。その男性の話もまったくの嘘ではないと思いますが、この先どんな装具屋や靴屋さんが(僕も含めて)作っても、彼が満足いく靴は出来ないだろうとその時感じていたのでした。
ある日、BSのテレビ欄に「腰痛の新常識」という、腰痛持ちには何とも魅力的な題名の番組があるのを発見して見てみたところ、腰痛の8割は原因不明(特定できない)らしく、自分は腰痛持ちだという意識や痛みへの恐怖心を持つこと自体が脳に悪影響して、脳が痛みを緩和する物質を出すことを妨げてしまい、結果的に慢性的な腰痛になったり痛みを長引かせてしまうという内容でした。靴を作りながら経験的感覚として何となくぼんやりと形をなしていたものが、輪郭を与えられて腑に落ちたという感じです。
今までの話を総括すると、手づくり靴において履き手と靴のグッドフィッティングには、履き手と作り手の信頼関係(この人に作ってもらった靴だから大丈夫)が重要だということです。感覚的なものと思っていたことが、医科学的にも証明され始めていることだと分かってきました。信頼関係があればどんな靴を作っても痛くないしフィットすると言ってるのではありません。そこに胡座をかいて適当に靴づくりをしている人は、最終的には信頼されなくなるというパラドックスを含んでいますので、その辺をくれぐれもお間違えなく。
まさに信じる者は救われるのでしょう。
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現在、靴づくりを教える養成機関や個人も数多く増え、単純に靴が作れる若者たちは独立を果たし、その波は着実に全国に広まってはいるが、幸か不幸か国内では靴製作に関して客観的で明確な評価方法が定まっていない。デザイン重視のファッション志向の靴もあれば、足の不具合や痛みを抱えた方に向けた治療目的な靴も作られている。中でも特に後者の場合は、国内に資格制度がないが故に、それぞれの作り手で足や靴に対する知識や経験に大きな差が生じていると危惧されるのである。ドイツの整形靴マイスターの指導のもとで整形靴を販売している靴店なども見かけるが、殆どが既製の靴に調整したインソールを入れて販売している程度に留まっていて、足とインソールを収めるための器としての働きに加えて、インソールと相まって機能的に作用するような靴本体を作成する技術を有するまでには至っていないのが現状だ。
足病医学の先進国である諸外国ではどうだろう。アメリカでは足装具の専門家であるペドーシスト、ドイツには整形靴マイスターという国家認定資格があり、医学的知識を持った靴及びインソール製作のスペシャリストが存在するのだ。日本でその分野を担っている国内唯一の資格といえば義肢装具士だが、専門的には義足・義肢が主体で、足部に於いては特注の足底挿板(インソール)を医師の指示のもとで作成することはあるが、教育期間内における整形靴製作に割かれる時間が極めて少なく、実際の仕事で整形靴を作成できる技術が完全に備わっているとは言いがたいのが現状である。また、義肢装具士は患者に対して直接インソールや靴を作ることはできない。必ず医師の診断と指示があって作成するため、患者とのダイレクトなコミュニケーションが不足しがちになるだろうと考えられる。それ故、足や靴に不具合を感じている人が義肢装具士の事業所を直接訪ねるという選択肢は殆ど稀である。当方の靴工房の専門課程に在籍する生徒達には、誰かに靴を作るとき、その人の生活習慣・生活環境にまで思いを巡らせないと良い靴はできない、と教えている。靴を作るということはそれを履く個人を知ることに他ならないと考えているからである。それは、治療家と患者との関係に於いても同じであると言えるだろう。
そこで、国内の医療従事者が医学的知識を持って直接患者の靴を製作したり、インソールをその場で調整できたりしたらどんな効果が期待できるだろうか。足部の変形やそれによる足の機能不全、靴と足との不適合などからくる膝、腰、肩、首痛の軽減や、治療の際にベースとなる身体を足元からニュートラルな状態にしておくことで、従来の治療で行っていた施術の効果が増したり、治癒までの期間が短縮されたりすることが可能になるのではないかと考える。また、高齢者の転倒防止や足に合った靴を履くことで歩くことが楽しみとなり、健康増進の役割も期待することができるだろう。
子供の足と靴を考える会の大野貞枝『整形靴はどうあるべきか』(2003)のレポート中で、「1997年のある二人の整形外科医の講演によると、保存療法に積極的に取り組むM医師は、「足の病気のほとんどは靴で治る。靴は足の内科である。」と、手術等の外科的な処方に依らざるをえない場合以外は、整形靴を処方するという。」と書いている。整形靴とインソールでの保存療法の可能性を指摘している反面、現実的にそれらの治療法が未だ浸透していないことを示唆しているとも捉えられるだろう。もし足の病気が靴で殆ど治るとしたら、足に何らかの不具合を抱えた患者にとってこれほどの利益はないと考えられる。
また、今後日本は超高齢化社会を迎えて、国民医療費の増大も大きな問題として台頭していくなかで、患者や医療従事者側にも更なる負担が求められるだろうことは想像に難しくない。総人口も2015年を頂点にして統計調査開始以来はじめて減少に転じた。地方での少子化、過疎化が進み、医療サービスも大都市部に集中してゆくであろう傾向で、国内のどこでも適切な医療が等しくなされることは、日本全体の医療の課題であると思われる。
結論としては、国内に於いて諸外国の靴先進国と比べて充実しているとは言いがたい足病治療の分野で、足部の医学的な専門知識を持って靴とインソールを製作でき、患者に直接治療を施せる医療靴技術者の養成が求められるべきであると考える。今まで足の機能不全や痛みに対処できるような靴を求めているのに、満足できる靴や治療が供給されていない人に対して十分なケアが必要である。つまり、医療従事者と手づくり靴の技術者が融合すれば、国内の足病患者の治療と国民の健康増進に対する有効な選択肢となり得ると確信するのである。また、靴製作に精通している若い技術者が増加している傾向にあるが、もっと医学的な知識を学べる環境を整えてゆくことも不可欠だろう。日本の医療の将来を考えるとき、靴やインソールでの足の保存療法はまだまだ未発展であり、その可能性は大いに期待できるところである。医療費を抑制し、患者の経済的、身体的負担を減少させることに役立つことだろう。そして、近所の治療院やあるいは靴工房でそのような治療が日常的に受けられることが、何よりも患者の利便性や生活の質向上に寄与することは確かであろう。
そこで今後の課題として、従来の足病治療に加えて手づくり靴が具体的にどのようなオプションを提供し得るかを、実際の治療現場で検証し、足病関連各分野での専門的知識レベルの統一、新たな医療靴技術者の国家認定資格としての許認可の可能性を模索してゆくことが必要だと言えよう。
もし今、みなさんが足に何らかの問題を抱えていて、市販の靴が履けない状態に陥っていたとします。そこで近所に靴製作に精通している足の治療院(もしくは医学的知識がある靴工房)があったとしたらどうでしょう。足の問題を解決するためにそんな治療院を訪ねてみたくなるのではないでしょうか。
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