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手に託して生きる

 神奈川県の二宮という海沿いの町で、友人がパン屋を開業したという話を聞いてから4、5年は経ったでしょうか。その間に、靴工房を開いたことがきっかけで14年暮らした茅ヶ崎を離れ、生まれ育った埼玉に工房を移転しました。再び新しい環境へ飛び込んだことで靴工房もまた一からのスタートだと覚悟しながら駆け抜けた日々は、あっという間に3年の年月を数えました。そして先日、いつも気になっていながらもまだ行けずにいた(物理的にも心情的にも)、その友人が営むパン屋を遂に訪ねることができました。

 

 彼とは茅ヶ崎時代に知り合いました。ご夫婦が自宅でよく開いていたホームパーティーに呼んでもらったのがきっかけでした。交遊関係の広い人で、そのパーティーにはカメラマン、デザイナーやアーティスト、手づくり家具職人や菓子職人、時にはデンマークから来ていた彼の友人がいたりと、多種多様でインターナショナル。彼の魅力的な人柄とセンスが醸し出す空間と時間に僕を含めてその場の皆が刺激を受けていたように思います。その当時北欧家具の会社に勤めていてた彼が、どんな紆余曲折があって突然パン職人としてみんなの前に姿を現すことになったのか、正直なところそれを知る由も必要もないのですが、久しぶりに会った彼は(曰く8年ぶりだそう)、以前と全く変わらない屈託ない懐かしい笑顔で迎えてくれました。

 

 以前からパンと靴は良く似ていると思っていました。僕の靴の師は、自分の人生を手に託して生きると決めた時に、これから靴を作ろうかパンを作ろうかのどちらかを考えたという話を聞いたことがありました。パン職人は粉を練ってパンを焼き、片や靴職人は革から切り出して靴を作りますが、そのどちらも材料の状態からは全く違う形(立体物)に成形される。そうやって作られたものが人の暮らしに寄り添って生活を支えるものになるというところが似ているなと思っていたのです。そして、そのどちらも食べる人や履く人のことを思って作られたものはある種の美しさを備えています。美味しく食べてもらえるように、快適に歩いてもらえるようにと思いを込めて作られたものに宿る佇まいのようなものです。それと同じようなことを民芸運動の柳宗悦は「用の美」と言いました。華美に装飾され、これは国宝級なので使ってくれるなといった器より、何気ない普段使いの器にこそ「器」としての本来の美しさがあるということと似た感性ではないでしょうか。

 

 彼が作るパンにもその美しさがあります。棚に並べられたパンは自ら起こした天然酵母種から焼き上げられてふっくらと丸く、少し強めに焼かれた表面は噛めばパリッと音がするだろうと容易に想像できます。芳ばしい香りが今にもしてきそうな何とも美味しそうで美しい佇まいです。それは裏返せば、厳選した材料を使い美味しく食べてもらいたいと思いを込めて作ったものだからこそ出せる美しさなのだと思います。靴も同じで、奇をてらうデザインの靴があってその時は目新しいということで人気があったとしても、10年後、50年後にその靴のデザインが残っているかといえば、その可能性は時間が経つにつれて難しくなるでしょう。現在のスタンダードと言われている靴で皆さんが格好いいとか可愛いといっている意匠(デザイン)は例外なく「機能的デザイン」、つまり履く人に寄り添う形ゆえに時間を越えられたのだと言えるのです。

 

 履く人を特定ししないで作る靴は点の靴です。その時代に合っていてその時々に売れればいいという靴のことです。逆に履く人を想って手で作る靴は線の靴です。その人の暮らしに寄り添い、長く人生を共に歩いてゆく靴のことです。だから、これから靴やパンをやってみたいと思っている人で、沢山作ってたくさん売りたい人は手で作ってはだめなんです。逆に手に届く範囲の人の幸せを願いながら、地域に根をおろして何かを作ることを生業にしたいのなら、手で作ることほど自由で自在なことはありません。それが手に託した生き方ということだと思っています。

 

 最後に、彼と再会を願いながら握手をして別れましたが、握った手は厚みがあって温かく、しっかりとした職人の手をしていたことを書き添えておきます。

| 雑記 | 09:36 |