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プロってなに
ある靴の専修学校を見学に来た人が「自分は本物のプロを目指している」と言って、その学校への入学を見合わせたそうだ。
それを聞いて僕は何と言えばいいか、ある違和感を覚えた。
そこで、プロ(プロフェッショナル)になるとはどういうことかについて考えてみた。

プロフェッショナルを辞書でひくと「専門的な」とか「本職の」とかいう意味である。
皆さんも、仕事をしてお金を稼ぎ、それで生活が成り立っていれば立派な「プロ」だろう。
そう考えている人が多数なのではないだろうか。

僕の考え方はちょっと違う。

この国において「プロ」という表現は基本的にその言葉づらよりもより格上で、上質であるという意味を含んで「仕事」をする人に対して使われているようである。
「やはりあの人はプロ」だとか、「さすがプロの仕事だ」というふうに。
であれば、その「プロ」なるものを知るには、「仕事」って何なのかをまず定義しなければならないだろう。

さっきも言ったように、
「労力」を提供してその代わりに「お金」をもらうのが「仕事」であると考えるのはちょっと安直である。
もしそうだとしたら、パチンコをしても競馬をしても「お金」を稼げさえすれば、そういうことも立派な「仕事」だということになってしまう。

ならば、自己利益の増幅のためにすることは仕事とは呼べないだろうと僕は考えている。
他の誰かが喜ぶことや助けになること、何か社会に貢献できることのために
労力を使うことが「仕事」ではないだろうか。

そして、その仕事の成果やそれに就く人の評価というものは事前に自分で考量できるものではない。
それは結果として他人が喜んでくれたとき、後に社会の役にたったときにはじめて考課されることになるのである。

したがって、「プロ」というのは自分の利益にならずとも「他人を喜ばしたり、誰が恩恵を受けるかすら知らないが、社会の役に立つようにと最善の努力を惜しまない人」のことを言うのである。
そして、その人が真のプロであるかどうかは、実際にその仕事によって喜んだり、恩恵を受けた人がいたことをもって、「あのひとは本当のプロだった」とか「さすがプロの仕事だったね」と事後的に評価されるべきなのである。

だから、「本物のプロを目指す」というような自分が将来獲得するだろうと思われる権威や地位を想定考量して仕事をしているような人は、真の「プロ」にはなれないというパラドックスに陥ることになるんじゃないの?
と感じたのである。
| 雑記 | 20:09 | - | - |