2010.05.01 Saturday
ことばのチカラ
このブログで書いたある記事に対して、ここ数日で多分同じ方(匿名だったので)から何件かコメントを頂いた。
内容は、僕のやっている「靴づくり」や「考え方」に対する辛辣な批判であったと思う。
ただ、基本的にこのブログで書いていることに対してご意見を頂いても、それに反論することはない。
僕がここで書いている「ことば」は自分の名において、確固たる信念に基づいて書かれているものである。
なので逆に、このブログの記事を読んで、自らの名の下に信念にしたがって反論があるという方は大変結構なのである。
自分が好きなことを言える権利は、他の人が好きなことを言うことを認めている態度に担保されていると考えているからである。
ただし、その言葉は誰の口から発せられたのか、出所がはっきりしているかが問題であると思う。
ことばにチカラが宿るのはその言葉を発している人が明らかなときだけである。
みなさん想像して欲しい。
見知らぬおじさんが言っていた同じ言葉でも、松下幸之助や本田宗一郎が言ったとなるとより深遠で重厚な意味を持つということもありうるだろう。
ことばはそれを発する人と一対になっていなければその効力は半減してしまう。
反対にことばのチカラを信じる者は、その発した自分の「ことば」によって自身をその指し示す方向へと導いてもらえる。
誰が発したとも分からない「ことば」は誰も責任を取らなくてもいいことばである。
受け止めようとも、突き放そうとも、何とも「かたち」の曖昧なものになってしまう。
つまり、自分の発することばにチカラを与えたいなら、いつでもそれを言ったのは「私」ですと言えることが大事だと考えるのである。
ちなみに、頂いたコメントは靴づくりに携わる違う立場の人の意見として大変参考になりました。
「こちらの工房からは学ぶことはない」というご意見でしたが、こちらは既製靴の現場に興味があります。もしその現場を見せて頂けるようでしたらメールの方へご一報ください。
内容は、僕のやっている「靴づくり」や「考え方」に対する辛辣な批判であったと思う。
ただ、基本的にこのブログで書いていることに対してご意見を頂いても、それに反論することはない。
僕がここで書いている「ことば」は自分の名において、確固たる信念に基づいて書かれているものである。
なので逆に、このブログの記事を読んで、自らの名の下に信念にしたがって反論があるという方は大変結構なのである。
自分が好きなことを言える権利は、他の人が好きなことを言うことを認めている態度に担保されていると考えているからである。
ただし、その言葉は誰の口から発せられたのか、出所がはっきりしているかが問題であると思う。
ことばにチカラが宿るのはその言葉を発している人が明らかなときだけである。
みなさん想像して欲しい。
見知らぬおじさんが言っていた同じ言葉でも、松下幸之助や本田宗一郎が言ったとなるとより深遠で重厚な意味を持つということもありうるだろう。
ことばはそれを発する人と一対になっていなければその効力は半減してしまう。
反対にことばのチカラを信じる者は、その発した自分の「ことば」によって自身をその指し示す方向へと導いてもらえる。
誰が発したとも分からない「ことば」は誰も責任を取らなくてもいいことばである。
受け止めようとも、突き放そうとも、何とも「かたち」の曖昧なものになってしまう。
つまり、自分の発することばにチカラを与えたいなら、いつでもそれを言ったのは「私」ですと言えることが大事だと考えるのである。
ちなみに、頂いたコメントは靴づくりに携わる違う立場の人の意見として大変参考になりました。
「こちらの工房からは学ぶことはない」というご意見でしたが、こちらは既製靴の現場に興味があります。もしその現場を見せて頂けるようでしたらメールの方へご一報ください。