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手に託して生きる

 神奈川県の二宮という海沿いの町で、友人がパン屋を開業したという話を聞いてから4、5年は経ったでしょうか。その間に、靴工房を開いたことがきっかけで14年暮らした茅ヶ崎を離れ、生まれ育った埼玉に工房を移転しました。再び新しい環境へ飛び込んだことで靴工房もまた一からのスタートだと覚悟しながら駆け抜けた日々は、あっという間に3年の年月を数えました。そして先日、いつも気になっていながらもまだ行けずにいた(物理的にも心情的にも)、その友人が営むパン屋を遂に訪ねることができました。

 

 彼とは茅ヶ崎時代に知り合いました。ご夫婦が自宅でよく開いていたホームパーティーに呼んでもらったのがきっかけでした。交遊関係の広い人で、そのパーティーにはカメラマン、デザイナーやアーティスト、手づくり家具職人や菓子職人、時にはデンマークから来ていた彼の友人がいたりと、多種多様でインターナショナル。彼の魅力的な人柄とセンスが醸し出す空間と時間に僕を含めてその場の皆が刺激を受けていたように思います。その当時北欧家具の会社に勤めていてた彼が、どんな紆余曲折があって突然パン職人としてみんなの前に姿を現すことになったのか、正直なところそれを知る由も必要もないのですが、久しぶりに会った彼は(曰く8年ぶりだそう)、以前と全く変わらない屈託ない懐かしい笑顔で迎えてくれました。

 

 以前からパンと靴は良く似ていると思っていました。僕の靴の師は、自分の人生を手に託して生きると決めた時に、これから靴を作ろうかパンを作ろうかのどちらかを考えたという話を聞いたことがありました。パン職人は粉を練ってパンを焼き、片や靴職人は革から切り出して靴を作りますが、そのどちらも材料の状態からは全く違う形(立体物)に成形される。そうやって作られたものが人の暮らしに寄り添って生活を支えるものになるというところが似ているなと思っていたのです。そして、そのどちらも食べる人や履く人のことを思って作られたものはある種の美しさを備えています。美味しく食べてもらえるように、快適に歩いてもらえるようにと思いを込めて作られたものに宿る佇まいのようなものです。それと同じようなことを民芸運動の柳宗悦は「用の美」と言いました。華美に装飾され、これは国宝級なので使ってくれるなといった器より、何気ない普段使いの器にこそ「器」としての本来の美しさがあるということと似た感性ではないでしょうか。

 

 彼が作るパンにもその美しさがあります。棚に並べられたパンは自ら起こした天然酵母種から焼き上げられてふっくらと丸く、少し強めに焼かれた表面は噛めばパリッと音がするだろうと容易に想像できます。芳ばしい香りが今にもしてきそうな何とも美味しそうで美しい佇まいです。それは裏返せば、厳選した材料を使い美味しく食べてもらいたいと思いを込めて作ったものだからこそ出せる美しさなのだと思います。靴も同じで、奇をてらうデザインの靴があってその時は目新しいということで人気があったとしても、10年後、50年後にその靴のデザインが残っているかといえば、その可能性は時間が経つにつれて難しくなるでしょう。現在のスタンダードと言われている靴で皆さんが格好いいとか可愛いといっている意匠(デザイン)は例外なく「機能的デザイン」、つまり履く人に寄り添う形ゆえに時間を越えられたのだと言えるのです。

 

 履く人を特定ししないで作る靴は点の靴です。その時代に合っていてその時々に売れればいいという靴のことです。逆に履く人を想って手で作る靴は線の靴です。その人の暮らしに寄り添い、長く人生を共に歩いてゆく靴のことです。だから、これから靴やパンをやってみたいと思っている人で、沢山作ってたくさん売りたい人は手で作ってはだめなんです。逆に手に届く範囲の人の幸せを願いながら、地域に根をおろして何かを作ることを生業にしたいのなら、手で作ることほど自由で自在なことはありません。それが手に託した生き方ということだと思っています。

 

 最後に、彼と再会を願いながら握手をして別れましたが、握った手は厚みがあって温かく、しっかりとした職人の手をしていたことを書き添えておきます。

| 雑記 | 09:36 |
信じる力

新しい年になりましたが、もう2月も半ばを過ぎようとしています。

年に数回しか更新されないブログですが、お目に留まった方はどうぞご覧下さい。

 

長年考えていたことで頭の中でモヤモヤしていたものが少し晴れたというお話しです。

 

 さて、靴を作る上で大事なことは何だと思いますか。特に「手づくり靴」(既製靴を手で作っているのは別です)では靴の履き手との良好な人間関係が築けるか否かが、足に合う靴を作るのに大変重要な要素になると靴を始めた頃から常々思っていましたし、WORKS(手づくり靴専修科)の生徒らにも、靴づくりは「履き手との関係を作ること=人づくり」だと教えてきました。

そういう良好な関係を築けた方とは総合的に靴づくりがうまくいくし、その後も関係は続いていくだろうことは、みなさんにも想像に難しくないと思います。さらに実際に足に対するフィット感や、痛みが出る・出ないにもそれは関わっているように思えていて、ただそれは自分の経験則に従った感覚的(主観的)なもので、もし誰かに証明してみせろと言われたら、15年以上そんな気がしてやってきたのでとしか言えないと思っていました。

 

 先日、足に靴型装具を付けた男性が突然工房にやって来て言いました。いままで40年以上この足の装具と付き合って来て、全国にある殆んどの装具屋を廻ってみたのだが、ただの一度も自分の足に合った靴型装具を作ってもらったことがない。なので作った中では何とか履けるという靴をいつも不満ながらに履いている。とのこと。そして、履いて来た靴の不満な点や、装具屋がいかに怠慢で経済的な合理性しか考えておらず、自分たちのような足の人のことを本当に考えて靴を作ってはいない。という話を2時間近く聞いていただろうか。

そこで思い出したのはある義肢装具士学校の先生の話です。患者と医者の間に信頼関係がないと、装具士がどんなに良い義足を作っても患者は義足に違和感や痛みを覚えることがあるそうなのです。その男性の話もまったくの嘘ではないと思いますが、この先どんな装具屋や靴屋さんが(僕も含めて)作っても、彼が満足いく靴は出来ないだろうとその時感じていたのでした。

 

 ある日、BSのテレビ欄に「腰痛の新常識」という、腰痛持ちには何とも魅力的な題名の番組があるのを発見して見てみたところ、腰痛の8割は原因不明(特定できない)らしく、自分は腰痛持ちだという意識や痛みへの恐怖心を持つこと自体が脳に悪影響して、脳が痛みを緩和する物質を出すことを妨げてしまい、結果的に慢性的な腰痛になったり痛みを長引かせてしまうという内容でした。靴を作りながら経験的感覚として何となくぼんやりと形をなしていたものが、輪郭を与えられて腑に落ちたという感じです。

 

 今までの話を総括すると、手づくり靴において履き手と靴のグッドフィッティングには、履き手と作り手の信頼関係(この人に作ってもらった靴だから大丈夫)が重要だということです。感覚的なものと思っていたことが、医科学的にも証明され始めていることだと分かってきました。信頼関係があればどんな靴を作っても痛くないしフィットすると言ってるのではありません。そこに胡座をかいて適当に靴づくりをしている人は、最終的には信頼されなくなるというパラドックスを含んでいますので、その辺をくれぐれもお間違えなく。

まさに信じる者は救われるのでしょう。

| 雑記 | 15:39 |
手づくり靴イノベーション

 思う所があって、手づくり靴におけるイノベーションを考察したレポートをある機関向けに書いたのですが、もう世に出ることはないだろうと思って、読みやすく抜粋してブログに載録しておきます。長くて固い話なので興味のある方だけどうぞ。

 

 現在、靴づくりを教える養成機関や個人も数多く増え、単純に靴が作れる若者たちは独立を果たし、その波は着実に全国に広まってはいるが、幸か不幸か国内では靴製作に関して客観的で明確な評価方法が定まっていない。デザイン重視のファッション志向の靴もあれば、足の不具合や痛みを抱えた方に向けた治療目的な靴も作られている。中でも特に後者の場合は、国内に資格制度がないが故に、それぞれの作り手で足や靴に対する知識や経験に大きな差が生じていると危惧されるのである。ドイツの整形靴マイスターの指導のもとで整形靴を販売している靴店なども見かけるが、殆どが既製の靴に調整したインソールを入れて販売している程度に留まっていて、足とインソールを収めるための器としての働きに加えて、インソールと相まって機能的に作用するような靴本体を作成する技術を有するまでには至っていないのが現状だ。

 足病医学の先進国である諸外国ではどうだろう。アメリカでは足装具の専門家であるペドーシスト、ドイツには整形靴マイスターという国家認定資格があり、医学的知識を持った靴及びインソール製作のスペシャリストが存在するのだ。日本でその分野を担っている国内唯一の資格といえば義肢装具士だが、専門的には義足・義肢が主体で、足部に於いては特注の足底挿板(インソール)を医師の指示のもとで作成することはあるが、教育期間内における整形靴製作に割かれる時間が極めて少なく、実際の仕事で整形靴を作成できる技術が完全に備わっているとは言いがたいのが現状である。また、義肢装具士は患者に対して直接インソールや靴を作ることはできない。必ず医師の診断と指示があって作成するため、患者とのダイレクトなコミュニケーションが不足しがちになるだろうと考えられる。それ故、足や靴に不具合を感じている人が義肢装具士の事業所を直接訪ねるという選択肢は殆ど稀である。当方の靴工房の専門課程に在籍する生徒達には、誰かに靴を作るとき、その人の生活習慣・生活環境にまで思いを巡らせないと良い靴はできない、と教えている。靴を作るということはそれを履く個人を知ることに他ならないと考えているからである。それは、治療家と患者との関係に於いても同じであると言えるだろう。

 そこで、国内の医療従事者が医学的知識を持って直接患者の靴を製作したり、インソールをその場で調整できたりしたらどんな効果が期待できるだろうか。足部の変形やそれによる足の機能不全、靴と足との不適合などからくる膝、腰、肩、首痛の軽減や、治療の際にベースとなる身体を足元からニュートラルな状態にしておくことで、従来の治療で行っていた施術の効果が増したり、治癒までの期間が短縮されたりすることが可能になるのではないかと考える。また、高齢者の転倒防止や足に合った靴を履くことで歩くことが楽しみとなり、健康増進の役割も期待することができるだろう。

 子供の足と靴を考える会の大野貞枝『整形靴はどうあるべきか』(2003)のレポート中で、「1997年のある二人の整形外科医の講演によると、保存療法に積極的に取り組むM医師は、「足の病気のほとんどは靴で治る。靴は足の内科である。」と、手術等の外科的な処方に依らざるをえない場合以外は、整形靴を処方するという。」と書いている。整形靴とインソールでの保存療法の可能性を指摘している反面、現実的にそれらの治療法が未だ浸透していないことを示唆しているとも捉えられるだろう。もし足の病気が靴で殆ど治るとしたら、足に何らかの不具合を抱えた患者にとってこれほどの利益はないと考えられる。

 また、今後日本は超高齢化社会を迎えて、国民医療費の増大も大きな問題として台頭していくなかで、患者や医療従事者側にも更なる負担が求められるだろうことは想像に難しくない。総人口も2015年を頂点にして統計調査開始以来はじめて減少に転じた。地方での少子化、過疎化が進み、医療サービスも大都市部に集中してゆくであろう傾向で、国内のどこでも適切な医療が等しくなされることは、日本全体の医療の課題であると思われる。

 

 結論としては、国内に於いて諸外国の靴先進国と比べて充実しているとは言いがたい足病治療の分野で、足部の医学的な専門知識を持って靴とインソールを製作でき、患者に直接治療を施せる医療靴技術者の養成が求められるべきであると考える。今まで足の機能不全や痛みに対処できるような靴を求めているのに、満足できる靴や治療が供給されていない人に対して十分なケアが必要である。つまり、医療従事者と手づくり靴の技術者が融合すれば、国内の足病患者の治療と国民の健康増進に対する有効な選択肢となり得ると確信するのである。また、靴製作に精通している若い技術者が増加している傾向にあるが、もっと医学的な知識を学べる環境を整えてゆくことも不可欠だろう。日本の医療の将来を考えるとき、靴やインソールでの足の保存療法はまだまだ未発展であり、その可能性は大いに期待できるところである。医療費を抑制し、患者の経済的、身体的負担を減少させることに役立つことだろう。そして、近所の治療院やあるいは靴工房でそのような治療が日常的に受けられることが、何よりも患者の利便性や生活の質向上に寄与することは確かであろう。

 そこで今後の課題として、従来の足病治療に加えて手づくり靴が具体的にどのようなオプションを提供し得るかを、実際の治療現場で検証し、足病関連各分野での専門的知識レベルの統一、新たな医療靴技術者の国家認定資格としての許認可の可能性を模索してゆくことが必要だと言えよう。

 

 もし今、みなさんが足に何らかの問題を抱えていて、市販の靴が履けない状態に陥っていたとします。そこで近所に靴製作に精通している足の治療院(もしくは医学的知識がある靴工房)があったとしたらどうでしょう。足の問題を解決するためにそんな治療院を訪ねてみたくなるのではないでしょうか。

| 雑記 | 10:32 |
「手づくり靴」の作り手として
 先日、僕が靴を習ったモゲ・ワークショップ(現在の呼称はmoge塾)のブログを見ていたら自分の名前が出ているのに驚き、内容を読んでみると少し考え違いがあるのではというものでしたので、ご本人にはメールでその旨をお伝えしました。
いつも返事は無い方なので、結果どうなったかは特に関与しませんが、モゲさんのブログだけ読んでいる方は思い違いのままというのはいけませんので、その時の手紙の内容をここに載録しておきたいと思います。





大変ご無沙汰しております。
いつものようにブログを拝見しておりましたら、自分の名前が出ているのに驚き、
学生当時よく怒られていたのを思い出して懐かしんでおりました。
今では苦言を頂くような存在の人も周りに少なくなり、嬉しくというのは変ですが、光栄に思っています。

さて、こんな機会でもないとなかなか自分の考えを伝えることも無いと思い、
モゲ・ワークショップを出たひとりの者が、どのような思いで靴をつくっているのかをお伝えしようと筆を取りました。
そういう主張ができることが、モゲ・ワークショップで学んだことの一つだと思っておりますので、どうぞご容赦ください。

モゲさんがブログ中で引用している文言、「当時のモゲ・ワークショップでは、技術的な知識や経験が不足しているだろう所は多少あったと思う」というくだりですが、
2014年に、確か都内の靴学校が幾つかある中、どこが良い学校かというような質問をしてきた人に対して返答した「素朴な質問に対する厄介な回答」というなかの一節だと思います。
前後の文脈を見て頂くと分かるのですが、決して技術の優劣をもって学校や人を評価しているのではありません。
むしろその逆で、そういう外形的なものが学校や指導者の評価を決めるものではなく、教えを請う側の心構えや価値規範を問うている内容で、自分が教えを請うたところの価値というは、将来自分自身がそれをどう血肉にしたか(自分次第)で変わるのですよ。ということを伝えたかったのだと思います。

モゲワークショップを出て、自らを「手づくり靴」の担い手と信じて、今年で工房を構えて16年目を迎えました。
僕の認識不足かもしれませんが在籍していた当時は、まだモゲさん以外に「手づくり靴」のワークショップのみで本当の意味で独りで生計を立てている人は(結婚されていて独立されてる女性は何人かいましたが)いなかった様に記憶しています。
それならばと、後から続く「手づくり靴」を目指す人たちの、大きな夢ではなく、小さくも確実な道しるべとなろうと自分を鼓舞し、勝手な思いで独りこの道を歩んで来ました。
あの一節は、「手づくり靴」が軌道に乗ってある程度安定している所にいようとも、自分にはまだ何か足りないものがあるだろう(何事も完全なことなどない)という思いで、常にある種の危機感を抱きながら靴づくりを続けてきたことへの表れだと思います。

若輩ながら、僕は手づくり靴の専修科を主宰させて頂いていますが、その希望者に向けて書いている一節をここに、僕の「手づくり靴」への取り組みとしてご認識頂ければ幸いです。

自分にとって良い靴とはどんなものか、どういう靴を作ってどんな人に手渡したいのか。
そして、将来どんな社会を築いていきたいのか。
今までの自分と向き合って靴との関わりを探求していきます。
靴の本意とは何かと考えることは、
自分自身の「生きかたち」を見い出す手がかりにきっとなるはずです。


モゲさんは「手づくり靴」のパイオニアとして尊敬する方ではありますので、末永いご活躍を祈るばかりです。
僕は僕の「手づくり靴」を全うすべく、自分自身の信ずる道を進むのみです。
| 雑記 | 12:51 |
安全保障関連法案と安倍政権に反対します!
仕事相手やそれほど親しくない知人の間では、政治と宗教と野球(今はサッカーかな)の話はするなと聞いたことがあるように、このような場で個人的政治思想、信条を語るのは、たくさんの人と会する仕事をしている身では敬遠されるべきなのかもしれません。
でも、今回の安全保障関連法案の可決(日本の大転換)によって、将来の日本を背負う子供たちにとって、30年、50年後の日本が大変住みにくく、嫌な国(嫌な国民)になるような気がして、いてもたってもいられない思いを誰かに伝えねばという気持ちで書いています。

僕の工房には沢山の靴教室の生徒さん、靴の勉強をする学生さんが来ていますが、それぞれの人が色々な考え方をしていることは当然です。僕自身も工房ではこうしたいとか、「手づくり靴」であんなことが実現したいという意志は強く持っていますが、それ(自分の世界)が一番だったり、それ以外を認めないということではありません。自分が大切と考えていることと等しく、他の人の考えていることも尊重したいと思っています。

僕は、今回の安全保障関連法案(集団的自衛権の行使容認)のように、将来子供たちが戦争に行くような道筋を開く法案には断固反対です。日本には平和憲法の元で培われてきた日本人としての「良心」があり(お人好しというのかもしれません)、それはまだまだ捨てたものではなく、世界にもっと発信すれば誇れるようなものになると思います。他国へ戦争に行って冷たい武器を取るよりも、もっと人の手の温かさが伝わるような貢献の仕方はいくらでもあるはずです。
 
先に申し上げたように、僕の意見とは逆に法案に賛成の方もいることは分かっています。ただ今回伝えたかったのは、そういう時は情理をを尽くして相手に自分の意見を説明して、相手も同じ様に情理を尽くして話しをすれば、同じ目的(日本国民の幸せや世界の平和)ならば歩み寄れるところがあるはずだということです。それが民主主義だと思うのです。
その点で、昨年の集団的自衛権行使容認の閣議決定から一連の安倍政権のやり方は、手づくり靴という仕事に携わって人との関わりを大事にして生きて来た者にとって看過しがたい行いの連続でした。国民の半数以上の人が反対をして、街頭では涙ながらに廃案を訴えている法案をその人達の意見に一切耳を傾けずに強硬に決めてしまうというのは、民主主義云々以前に「人として間違っています」。

僕はただの靴職人に過ぎず学も乏しいゆえ、政治的に正しいことが言えているかどうかは疑問ですが、今まで人としてなるべく正直に誠実にと生きてきた「生き方」は、どんな立場の人の前でも堂々とお話しすることができます。

僕は正直さ誠実さを大切にする一人の日本人として、今回の法案と安倍政権に反対の意志を表明します。

 
| 雑記 | 10:41 |
妖怪将棋
妖怪将棋2
妖怪将棋1
動物将棋(小さなお子さんがいる方はご存知かと)の妖怪版を革で作ってみた。
息子の通う幼稚園は手づくりのクリスマスプレゼントを贈る行事があって、
息子は年長で、今年が最後のお努めとなった。

本日がそのクリスマスページェント当日。
さて、包みを開けた息子の反応はどうだっただろう。
| 雑記 | 16:37 |
ホームヘージ更新
数ヶ月前から知人のWEBデザイナーにお願いしていたホームページが本日アップされました。
来年4月からの新しい工房のことや、茅ヶ崎工房のこれからなども分かりやすくご覧頂けると思います。
やっぱり餅は餅屋だなと感心しつつ、このホームページで謳っていることを前に進めてゆけるよう決意を新たにしています。

ではみなさん是非ご覧ください!
| 雑記 | 21:13 |
注文靴完成!
order(金井)少し前に踵を粉砕骨折した方の注文靴をお受けした。
彼女は、整形外科で作られた足底挿板(医療用インソール)を持参され、それが入ってなお自分の足に合った靴が欲しいというご要望であった。
本来なら木型から新調しないと難しいだろうということ、また、ローファーのように足に対して攻めるような木型は彼女の足には向いていない旨をお伝えしたが、最終的にはやれるだけやってみましょうということになった。
(写真はその足底板を石膏取りして既存型に装着できるようにしたもの)

order2(金井)ロウで踵とつま先を補整して、石膏板とともにつり込む。
トップラインの表革と裏地の間には履口の靴擦れ防止用にメモリーフォーム(形状記憶スポンジ)を仕込んであるのと、足と共にインソールが入る容量を確保したため、全体的にコロンとした形状の靴になってしまう。

order3(金井)
木型と石膏板を抜くとこんな感じ。

先日、本来の足底挿板を入れてもらい、基節骨パッドなどで微調整をしてお渡しとなった。
「注文靴は靴を渡してから始まると」言われるように、これから調整や修正を施しながら彼女の生活を共に歩んでゆける相棒になってくれることを願って。
 
| 雑記 | 19:56 |
2014
2014年が始まりました。

昨年の暮にお伝えしましたとおり、ノグチ靴工房としての茅ヶ崎は今年限りとなります。
一年間精一杯努めさせて頂きますので、皆様よろしくお願いいたします。

では、今年もがんばっていきましょう!
| 雑記 | 09:59 |
年末年始の予定と大切なお知らせ

先週22日(日)をもって今年のクツ教室とワークス、貸工房などは終了となった。あとは残った仕事を片付けて29日か30日に大掃除をすれば、正真正銘のお正月休みとなる。
なお、年末年始の工房は、12/25(水)から新年1/5(日)までお休みになるのでお間違えなく。

また、来年一年をもって実質的にノグチ靴工房は茅ヶ崎を離れるので、教室の生徒さんにはクツ工房移転の経緯を記した書面をお配りした。
最後の週をお休みした生徒さんや、部数の都合上配布できなかったワークスとその卒業生には、全文をここに掲載するのでお正月休みにお時間がある方はご覧頂ければと思っている。(長文なのでお暇なときにどうぞ!)
 


ノグチ靴工房からの大切なお知らせ。

 以前からブログをご覧の方へは折に触れてその経緯をお知らせして参りましたが、ノグチ靴工房は、2015年・春に主宰者・野口マサジの郷里である埼玉県に活動の拠点を移すことを、この度あらためましてみなさんにご報告したいと思います。

 ノグチ靴工房は茅ヶ崎で工房を開いてから来年(2014年)で14年目を迎えます。

工房を構えた当初は、全く縁もゆかりもない土地で明日の存続さえも危ぶまれる困難な状況もありましたが、年を重ねるごとにみなさんに認知して頂き、今日「手づくり靴」で生活が安定させられるまでになりました。

結婚して新しい家族も増え、気づけば茅ヶ崎は生まれ育った埼玉の次に長い月日を過ごした土地になりました。

そんな第2の故郷であり、毎週通って頂いている沢山の生徒さんや、かけがえのない地元の友人もできた茅ヶ崎を離れようと思ったきっかけは、父親の死と子供の誕生でした。

 今から15年前に絶縁状態で埼玉の実家を飛び出して、靴の世界に飛び込んでから8年が経っていました。この仕事だけでご飯が食べられることが特別なことではなく日常となり、「独りでここまでやってきたぞ」とやっと父に報告できるようになったと思った矢先に彼は他界してしまいました。

その後、結婚して自分も男の子の父親になり、大工職人で同じ境遇であっただろう当時の彼と幼い私の姿を今の自分と息子に重ねて考えさせられることも多くなりました。そして父がそうしたように、自分の生まれ育った土地で子供を育てたいという思いが次第に強くなっていきました。

 私の実家は兼業農家といって、父が大工をする傍ら家族が日々食べられる程度の米や野菜を母と一緒に作っていました。父が亡くなった後、田植えや畑仕事をするのは専ら年老いた母の仕事になりました。

「土を耕して食物を作れば最低限生きてゆける、そう思えば人生何だってやれないことはない。」そういう考えが私の礎になっているように思えて、息子には「何も持っていなくても一から土を耕してたくましく生きてゆけるように」と願って「耕太郎」と名付けました。

そして、母を独り残していること、食と家族の生活と自分の仕事が一つになるような環境で子供を育てることを考えたとき、当初は何か見えない力に動かされているような感覚でしたが、今はその時の実家に戻ろうという決断が必然であったように思えてなりません。

 郷里に帰って「手づくり靴と農業」を兼業にすることをブログに初めて記したのが2010年のことで、それから5年後に実現させる計画で気持ちだけは少しずつ前に向かって動き出していた翌年に東北の大震災がおきました。

その時に二人目の子供がまだ妻のお腹の中にいて、震災後の動乱が未だ終息しない中で女の子が誕生しました。食の安全、家族や地域の人達との絆など、社会の価値観を一変させてしまう程の衝撃を突きつけられましたが、その一年前に、拠点を移してしまうことで順風満帆であった靴の仕事が縮小するか、または新たな土地で再開すらできなくなる不安があったにもかかわらず、移転を決断した方向性は決して間違っていなかったと不謹慎ながらも確信させてくれた出来事でもありました。

 ノグチ靴工房による茅ヶ崎でのクツ教室は、2014年・12月いっぱいを区切りに考えています。その後、茅ヶ崎の工房は後進の手に委ね、新たな形態となって継続される予定です。

2015年からは、新天地の埼玉で手づくり靴と自然農業を軸として、食の安全や人と人との繋がりをテーマにさらに「手づくり」の輪を広げてゆこうと考えています。また、新しい工房に移っても今まで通りクツ教室と靴の学校・ワークスは継続してゆくつもりです。

なお、移転先や茅ヶ崎工房(仮称)の詳細が決まりましたときは、逐一ご報告させて頂こうと思っています。

 食・仕事・育児がより密接した新たな環境で「生きる」ということを実践してみたいという更なる挑戦です。

みなさんに応援して頂ければうれしく思います。

突然の身勝手な話で大変申し訳なく思いますが、何卒ご理解を頂けますことをここにお願いいたします。

ノグチ靴工房主宰 野口マサジ

| 雑記 | 12:05 |
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