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取材を受ける
ある月刊生活情報誌(ライフスタイルマガジンと言うらしい)の取材と撮影があった。

2週間くらい前にその雑誌のライターさんから、
その土地や地域の人の暮らしを尋ねて旅するという企画で、「藤沢の『靴工房haq』と一緒にノグチ靴工房の取材をお願いしたいのですが」とご依頼をいただいた。
haqも一緒に取材してくれるなんて願ってもないと喜んでお受けしたのである。

撮影は2回にわたり、先週がクツ教室の撮影で、今週がボクへのインタヴューと撮影。
日常の暮らしぶりから仕事に対する考え方についてなどをお答えする。

暮らしぶりというところから、耕太郎(息子)に作った靴と本人を撮りたいというリクエストがあったので、
まあ、減るものでもないし「いいですよ」と快くOKする。
初めてプロフォトグラファーに写真を撮ってもらって、彼はいつにも増して得意げにポーズを決めているようであった。

無事に取材は修了したので「ほっと」しているが、耕太郎と一緒でどんな印象になるのかちょっと心配でもある。(親バカ感はいなめない)

雑誌や発売日の詳細は後にご報告するので、関係者のみなさまお楽しみに!





| 雑記 | 10:39 | comments(0) | - |
今朝のネロ
nero
ネロを心配してくれている人のために。
でもネロは動いてしまうので毎回うまく画像が撮れない。
ねこパンチを空振りした後の姿!
| nero | 20:05 | comments(0) | - |
未来への扉
前回のプログ「説明会終わる」のコメントに対する返信が少々長い話になってしまったので、改めて本稿でお返事したいと思う。

前述したように、要は「やるか・やらないか」だなどと書くと、
それは結果論で、「たまたま首尾よく成功を納めたから言える言葉であって、失敗した人はそうは言わないだろう」と思う方もおられるかと思う。

人というのは概して弱い存在であると思う。自分の下した判断が愚かで間違った行為であったと容易に肯定することは誰しも難しい。
したがって何らかの選択をした時、それが後に正しい判断だったと言えるように、自動的に自分自身にその選択事項の実現を働きかけるようになる。
それは自らある種の「呪い」を自分にかけてしまうようなものであるらしい。

一つの選択には、ポジティブとネガティブの両者が存在している。
そしてそのどちらを選ぼうと、それは選択者に任されている。
その人の置かれている環境とか条件などではなく「思考」である。

なんでも好意的に考えるヒトは、自分の判断の正しさを証明しようと一生懸命にその決断の実現に向けて努力するだろう。
反対に、いつでもものごとを悪い方向に考えるヒトも、これまた自分の下した判断の正しさを証明するために惜しむことなく負のチカラを注ぎ込むはずである。
そして、そのものは取るに足らない無駄なものであったという一番簡単な証明法は、それが成就しないように精一杯怠けて、実現にむけて努力しないことなのである
その決断が自身の責任によるところの比重が大きければ大きい程、それらの「呪い」は強いチカラを発揮する。

要するに、

この先君たちが人生の岐路に立ち、自分の未来への決断を下すことが必ず来るだろう。
その時下した判断が後に英断になるのか愚行になるのかは、君たちの考え方次第であると言いたいのである。

そして、自分の選択をいつも肯定できるような人の前には、そのつど未来への扉が一枚開くのである。

コメントの最後に綴られた言葉を読んで、
「君はかならず成功するよ!」とここに予言しておこう。
| works | 19:17 | comments(3) | - |
説明会終わる
2月7日の最終回をもって来期(第5期)ワークスの募集説明会の全日程を修了する。

10月から月1回のペースで全5回を予定していて、始めた頃はまだ半年も先の話だと思いながらの説明会であったが、いつのまにか最終回を終え、新期ワークス入学まであと2ヶ月を切ってしまった。
おかげ様(みなさんの)で、来期も今期同様に堅調な感じでスタートできそうである。

説明会をやっていると毎年耳にするのが、「踏ん切りがつかない」とか「状況が許さない」という類の言葉。
やれるかどうか不安であったり、置かれている状況が提示されている条件に合わないということらしいが、それらは有用なエクスキューズなのだろうか。

そしてそういう言葉を使う人たちに、その年のワークスのオリエンテーションで顔を合わせることはまずない。という事実から導き出されることは何だろうか。

靴づくり、ことに「手づくり靴」においては、普段から特別なことではなく「誰にでも出来ることですよ」と申し上げているとおり、
要は「やれるかどうか」ではなく「やるかどうか」がコトの明暗を分けると思うのである。

将来必ず成功することが保証されていたり、すべての条件がお膳立てされてエスカレーター式に希望の自分になれるようなシチュエーションは、この世の中で一般庶民(僕たち)には殆どあり得ない。
もし万が一そういう状況に置かれるチャンスがあったとしても、もうそれは自分自身の力で幸福な未来を掴み取るという当初の「志」とは遠くはなれた場所に来てしまっていることに、そう考えている人たちは果たして気づくのだろうか。




| works | 20:07 | comments(1) | - |
第3世代
靴工房haq1
靴工房haq2

昨年末、藤沢に新しくできた靴工房におじゃまする。

確認している限りであれば、その工房は当方のWORKSを卒業して初めての独立開房になる。
貸工房という形態で一緒に靴づくりの場を共にした後に独立した者は過去に何人かいるが、純粋に僕の主宰するWORKSを卒業して独立を果たしたのはこの「靴工房haq」が初めてなのである。

感慨深い上にとても意味深い。

今から十数年程前、手づくり靴職人を志して「モゲワークショップ」の門を叩いたのがことの始まりである。
当時は自分一人で全てが完結する「職人」という仕事を欲していて、靴の作り方さえ解れば何とか「仕事」になるだろうと考えていた。
だが主宰のmogeさん曰く、斜陽の国内靴産業の枠組みの中では、靴を作る技術だけ手に付けても、「先の未来にあなたの望むような仕事や生き方はできないよ」とかなりパンチの効いたカルチュラル・ショックを受けたのを、今でも鮮明に覚えている。

それらのモゲイズム(僕が勝手に呼んでいる)は「モノを売るのではなく、コトを売れ」という少し乱暴に聞こえる言葉に集約されていたと思うのだが、
手づくり靴は「誰のためでもない人の靴を作って売りぬけるような仕事ではなく、靴と足の良い関係をその人と築くこと」が仕事になってゆくのだと、今では僕なりに理解している。

それから茅ヶ崎に工房を開いて今年で10年目を迎える。
WORKSも4月から5期目である。
10数年前にモゲイズムの洗礼を浴び、僕なりに継承して来たモノを昨年やっと次の世代に手渡すことができた。

この第3世代がこれからどう手づくり靴の世界と関わり、新しい価値観で繋がれた靴コミュニティーを発展させてゆくのかを、当事者の一人として自分も積極的に見守ってゆくつもりである。






| works | 11:18 | comments(0) | - |
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